7月13日(月)の日記

  • 途中何度か目が覚めるものの、なんとか6時間くらい寝た。なにこれエイジング? で、まだ胃が張って痛い。

  • 強風と断続的に強くなる雨。湿気も。

  • 学部案内の校正を。お仕事です。

  • お仕事続きます。HPに載せるプログラム紹介を学部案内のPDFから抽出しようとするものの、元の画像が粗すぎてOCRが残念な感じに。いろいろ試したけど、自分で打ち込んだ方が早いやろと思ってやってたら手が疲れた。

  • 某院ゼミにお邪魔して修論構想に激しくコメントした。欠けがちなのは、自分のする予定の作業が、また論文全体としての仕事が、「どういう文脈の中で何をしたことになるのか」についての反省的把握。それがないと、論文全体の意義が自分でもつかめないし、わざわざ読んでくれる読者(修論の場合はその人が審査者でもあるわけだ)にもうまく伝えられない。そして、こればっかりは、いくら「勉強」したところでどうにもならないのであって、自分で考えたり、でっち上げたりするしかない。

  • あと、「勉強」についても、卒論構想とか聞いていて前から思っていることがあって、それは、文献探しをするのに「素人がCiNiiとか使ってんじゃねえよ!」ということ。あんな、「ルーマン」と「ルマン」の区別もつかないようなもん・・・ まあそれはともかく、あんな、キーワードに合致した論文が何の重みづけもなくだらだら一覧表示されるようなもの、これから勉強しようという学生に使いこなせるわけがない。卒論構想とかで、どこの馬の骨ともわからないような無名の人の変な紀要かなんかに載った無名の論文を「先行研究」と位置づけてしまっているのがかなりの数いて、そういうのみると、もうどうしようもない感に頭を抱える(もちろん、そういう学生は、本来読むべき重要文献を読んでいない)。CiNiiなんてのは、この人の論文PDFになってねえかな、という感じで使うべきものであって、文献を「探す」ためのものではない。卒論や修論のレベルでは(というかたぶん実際には博論や査読論文でも)、有名な人の有名な著書・論文(と、そこで言及されている文献と、その分野の専門誌の最新情報)だけで事足りるし、それだけでも読みきれないくらいあるのであって、文献を「探す」必要が出てくることなんてまったくない。そもそも、探さないと見つからないような論文というのは、無価値だから無視されているんだから。それから、そんな論文は審査する側だって読んでないのだから、それに言及したからといってプラス評価されることもないし、言及しなくても言及しなかったという認識すら生まれない。まあというわけで、論文執筆のためにこれから(CiNiiとかで)文献を探そう!とか意気込んでいる学生の人は、自分が他にやるべき重要な、不可欠なことをやっていない、やらないですましてしまう道にはまり込んでいる、ということを自覚すべきだと思う。

  • そのあと打ち上げ的に呑み屋へ。店員の兄ちゃんから「三谷先生ですよね」「授業とってました」。とっさに出たのは「単位出てた?」。出ていたそうで何よりです(笑)。