人文総合演習B 第10回



著者が、大人側からの対策としての加害者処罰を強調しているのに対して、報告者は、その有効性を認めたうえで、いじめられている人、中立的な人がどう振る舞うべきかについて、実体験を踏まえて論じてくれました。具体的には、いじめられている人は、本来の性格を隠して中立的グループに参加すること、それができない場合は、孤高を貫くことだと。また中立的な人は、著者のいうように「見て見ぬフリ」でよいのだが、そのやり方に良し悪しがあって、(以下は私の言葉でのまとめですが)いじめの中の悪の要素だけ見ないフリをする(ので正義感から止めることをしない)のが悪い見て見ぬフリであるのに対して、良い見て見ぬフリは、いじめそれ自体の存在を無視し、あたかもそれがないかのように被害者とも加害者とも普通に接する(ことによって被害者を助け、加害者にその行為の愚かさを気づかせる)とのことでした。

オーディエンスからはやはり実体験に基づいて、報告者の提案の困難性が様々な角度から指摘されました。

大人の側の対応、制度のあり方や運用の変革を求める著者には、私も賛成ですが、しかし今まさにこの瞬間にも全国の非常に多くの生徒が「いじめ」に逢っているわけで、そういう人たちは制度変革を待っている暇はないともいえます。そういう意味で、報告者のような観点からの提案も、著者の提案と並んでやはり重要だといえるでしょう。

司会者は謙遜していますが、最初の振り方とか結構うまかったと思います。もう少し大きな声出せばもっといいですね。(声が大きいだけでいろいろごまかせます(笑))



以下、出席者のコメント。

  • いじめはいけないと思います。
  • 確かに「いじめ」という言葉で一括りしすぎてたのかもしれないな・・・。
  • 今日のレジュメは、いまいち自分の意見がなかった感じがしました。著者のいう意見をとりすぎたかな?
  • 今回の議論で、いじめをどこからいじめと認識するかというが、かなり難しい問題だと思った。
  • 何か流れに乗っていけない・・・。もっと発言していけるようにしたいです。
  • いじめている側に法律を持ち出して説得すると、殴ったり物を隠すのはなくなっていいと思いました。
  • 被害者側も加害者側も経験したことがありますが、被害者側だった時は、周りに人(味方)が結構いたので、辛かったけれど、少しは軽減されていたのだと思う。いじめの問題の解決は難しいと思う。
  • 「いじめ」はなくならないけれど、「犯罪行為」は取り締る(っていうと言い方悪いですけど・・・)ことができると思います。前の「うつ」の時もそうですが、いじめも「主観」による判断が優先されるから、他者判断が難しいのだと思いました。
  • いじめといじられることは紙一重なのだということを実感しました。いじる側が悪意または相手への配慮を欠いた時からいじめというものが成立してしまうのかなと思いました。
  • 難しい問題だと思います。同じ行動1つとっても、やっている人とやられた人の信頼関係などによって受けとめ方も変わると思います。
  • 今回の議論を通して私が感じたことは、「いじめ」と「いじる」という間の違いについてです。私は「いじる」ことから発展して、度を越した場合が「いじめ」だと思います。「いじる」ということは仲良くなるきっかけではないかと思います。つまり「いじる」ということの程度をみんなに教えることが必要だと思います。よって、「いじる」・「いじられる」という概念を教えることで「いじめ」の程度と抑制することが可能だと思います。
  • 報告者の感想  レジュメの文、意味分かんなくてすみません。・・・自分の評価はできないです。発言してくれた方々、ありがとうございます!!
  • 司会者の感想  緊張しすぎて全然まとめられなかった。ダメダメだった。この経験はずっと覚えておきたい。