古田博司『新しい神の国』
- 作者: 古田博司
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2007/10
- メディア: 新書
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文章はとてもうまく、他の本も読んでみたいと思わせるが、ところどころ変なところもあるので、以下どうでもいいツッコミ。
私の研究室ではこれまでに多くのオタクを更生させ、社会の維持にとって必要な実務家を輩出してきた。十年くらい前には放送局員や新聞記者なども輩出したが、だいたい夜明けに鶏が三度鳴く前に「古田なんか知らない」と言いそうな輩ばかりなので、ばかばかしくなって止めてしまった。(p. 48)
そこは、鶏が鳴く前に三度「知らない」と言う、じゃ? 「鶏が三度鳴く前」ってタイミング難しそう。
あと、「茶化す」をティーゼイションというなんちゃって英語にするのはいいとしても、動詞形をティーゼイト、それをする人をティーゼイターはいかがなものか。オーガニゼイションの動詞形はオーガナイズ、それをする人はオーガナイザーであって、オーガニゼイトととかオーガニゼイターとはいわないのだから、ティーアイズ、ティーアイザーというべきでは?
そういうときには、「必殺仕置人・中村主水の名前は、なぜ主水でモンドと読むのか、Gugutteみろ」ということにしている。彼ら彼女らはすぐさまパソコンに向かい作業を開始するのだが、こういう高度な問題はまず解けないのである。正解は、古代に日本語では器に盛った水を「もひ」と言っていた。この「もひ」を貴人に差し上げる、水を主る人を「もひとり」といったのである。この「もひとり」が後世訛り、「もんど」となり、主水の訓となった(p. 139)
Yahoo知恵袋が見つかり、著者が挙げている程度のことはわかるのですが。語源系はネット検索の一番得意とするところという印象あり。