マーリーズ「経済学者は効用主義をどう使うか」

  • J. A. Mirrlees, 1982, "The Economic Uses of Utilitarianism," in: Amartya Sen and Bernard Williams (eds.), 1982, Utilitarianism and Beyond, Cambridge University Press, pp. 63-84

なんかよくわからんかった。

 効用というのは、ある個人の複数の自己への配分に関してその個人の熟慮に基づく選好を記述する一つの方法である。個人に生じる結果を評価することを目的とするため、ある程度の修正を必要とすることがあり、その場合、当人の選好と完全に一致するとは限らなくなる。
 同形の個人からなる社会、つまり経験の比較の仕方が同じ個人からなる社会では、経済政策(あるいは社会政策)の結果は、個人の効用の総和によって評価すべきである。自分以外のすべての個人を、それぞれ自分の可能な自己の一つとして扱うことに、全員が同意するはずだからである。
 少なくとも同形の個人からなる社会では、認められるべき道徳的評価の方法は、必ず効用主義と一致するはずである。
 同形の個人を用いる経済モデルは、現実世界に近似した非常に有用な描像を提供することができる。このモデルを採用した場合、現実世界に適用すべき経済政策を選ぶために最大化すべきものは効用の総和であると考える理由がある。
 効用主義は非同形の個人からなる社会にも拡大適用できる。しかしその場合には、異なる効用関数の間でどれか一つに決めるための慣習的な方法が必要である。
 極端な場合には、道徳的選択の根拠がまったくないという事態もありうる。たとえば人口規模の選択の場合、この規模がよくてその規模はよくないと決める根拠は存在しない。
 効用主義は、効用の最大化とか、政府や個人がそのために割り当てられた役割を唯々諾々と演じるだろうという仮定に基づいて、すべての問いに答えようとしてはいけない。効用総和を基準として採用した場合でも、経済政策を決めるのに使える最適な情報とはどんなものか、現実的に行動する個人が経済を支配する最適なシステムとはどんなものか、といった問いを考える必要がある。
 一般に採用されても効用を最大化しないような最適な経済的助言研究するという人もいるが、私はこれには反対である。経済学者も現実の人々と同じで、公刊可能な分析としてチェックを受けない限り信用のできる助言を与えるとは考えられないからである。
(p. 83-84)

↑訳、あんまり自信なし。

Utilitarianism and Beyond (Msh)

Utilitarianism and Beyond (Msh)