ラドクリフブラウン「トーテム制の社会学理論」

  • A. R. Radcliffe-Brown, 1929, "The Sociological Theory of Totemism," Proceedings of the Fourth Pacific Science Congress, reprinted in: A. R. Radcliffe-Brown, 1952, Structure and Function in Primitive Society, Cohen & West, pp. 117-132

 これまでトーテム制についての理論的な議論というのは、ほとんどがその可能な起源について頭で考えるというものだった。起源という言葉の意味を、ことである制度や慣習や文化状態が成立するに至った歴史過程のことにすると、世界中にはきわめて多様な形態のトーテム制が散らばっているのだから、それに対応してきわめて多様な起源があったということになるはずである。他方、トーテム制の起源はただ一つだというなら、トーテム制という一般的な用語で呼ばれる多様な制度のすべてが、もともと一つの形態だったものが段々と修正されてそれぞれ現在のような形になったのだと考えるしかない。しかしこの仮説を正当化するような証拠は私が知る限り一つも存在しない。さらに、よしんば何らかの証拠が見つかったとしても、そのトーテム制の原初形態というのがどんなものだったのか、その原初形態から現在のような多様なトーテムシステムができてくるまでに起こってきたはずのきわめて多様な事象の連鎖がどうなっているのか、またそのトーテム制の原初形態なるものがいつどこでどのようにして成立するに至ったのかについては、やはり頭で考えるしかないのである。そしてそうやって頭で考えている限りは、いつまでたっても帰納的な検証というのは不可能なのだから、こんなふうに考えてみましたという以上のものになるはずもなく、それゆえ文化の科学にとっては何の価値も持ち得ないのである。
 社会学とか社会人類学、私はこれらを自然科学で用いられているのと同じ帰納法を用いて行う文化現象の研究のことだと理解しているが、これらの学問にとっては、トーテム制という現象はまた異なる問題を呈示することになる。帰納科学の課題というのは、特殊の中に普遍とか一般を見つけることである。それゆえ文化の科学の課題とは、対象となる複雑なデータを、一定数の一般法則ないし一般原理に還元してやることである。トーテム制に対してこのような態度で臨む場合、この制度が呈示する問題は、次の問いによって定式化することができる。「トーテム制が、人間社会に普遍的に存在する現象の一特殊形態であり、それゆえ異なる形態においてすべての文化の中に見られるものである、ということを示すことができるかどうか。」
(pp. 122-123)

トーテム制の社会学理論は、普遍的で必然的な文化要素ないし文化過程が、一定の条件下でとった特殊形態に他ならないということを示すことができなければならない。デュルケムはそういう理論を提出しようと試みたが、いくつかの重要な点で失敗している。しかし我々は、デュルケムの分析の大部分を、儀式や「聖」の本性や機能についての同じ一般仮説に基づく理論の中に組み込むことができる。
 最後に、私の議論はどういう条件下でなら、この普遍的な文化要素がトーテム制という形態を最もとりやすいかということについてある程度のことを明らかにした。条件となるのは、(1)集団の存続が、自然の産物に全面的、あるいは部分的に依存していること、(2)氏族や半族その他同様の社会的単位への環節的な組織化が存在すること、である。アンダマン島民やエスキモーでは(1)は満たされているが、(2)は満たされておらず、かつ、トーテム制を容易に作れるだけの素材はあるのに、トーテム制を持っていない。もちろんこの一般化には、アフリカやアメリカやメラネシアの一部の部族のように明白な例外が存在する。これらの諸部族についての詳細な検討は、もちろん短い論文では行えないが、それを行うことによって先の規則を確証することができると思う。
(pp. 131-132)