ハーサニ「道徳と合理的行動理論」
- John C. Harsanyi, 1977, "Morality and the Theory of Rational Behaviour," Social Research 44, pp. 623-656, reprinted in: Amartya Sen and Bernard Williams (eds.), 1982, Utilitarianism and Beyond, Cambridge University Press, pp. 39-62
ハーサニの議論は、vNM効用関数さえ使わなければ、結構共感できる。が、vNM効用関数を抜きにしてハーサニの貢献がどの程度のものなのかというのは難しいところだ。くわしくはこちら↓
- 三谷武司「〈効用〉の論理――ハーサニ型効用総和主義の失敗」,土場学,盛山和夫(編),『正義の論理―公共的価値の規範的社会理論 (数理社会学シリーズ)』,勁草書房,pp. 59-78
効用主義理論というのは、みんな個人間効用比較がすごく得意だよ、という前提を置いているわけではない。そうではなく、多くの場合、道徳的決定を下すためには下手でも何でもとにかく個人間比較をせざるを得ない、と考えているのである。家族のうち誰がいちばん飢えているかを判断しようとして、まったく間違った状況判断を下してしまうこともあるだろう。それでも、何らかの判断は下さざるを得ないのだ。個人間比較については哲学的な疑問の余地があって決断することができないとかいって、家族全員を飢えさせるわけにはいかないのである。(p. 50)
哲学者や社会科学者の多くが長きにわたって個人間効用比較に反対してきたわけだが、その端緒は初期の論理実証主義にある。類似性の公準のような、非経験的でアプリオリな原理が、経験的な仮説の選択において果たす役割が、まったく軽視されていた時代だ。厳密な経験主義と、近代論理学の数学的厳密さを組み合わせることで、哲学に、真に科学的な基礎づけを与えようとした論理実証主義の真摯な努力に、我々は多くを負っている。しかし、個々の論点を見ると、論理実証主義の見解の多くはまったく間違っていたし、初期においてはアプリオリな原理の重要性を、もっと一般的にいうと、経験科学における理論的な発想の重要性を、軽視していた。これは否定できない事実である。(p. 52)
vNM効用関数について、非常に明快な立場表明があった。
私が提唱している効用主義理論にとって、vNM効用関数の使用は不可欠である。批判者の多くが、vNM効用関数は単に人々の賭博に対する態度を表現しているだけであり、この態度に道徳的な意味はないのであるから、vNM効用関数を使うのは不適切だという議論を展開してきた。しかしこの批判はvNM効用関数を誤解している。vNM効用関数が人々の(賭博をするとき、保険を買うとき、投資をするとき、等々の)リスクに対する態度を表現しているのは事実である。しかし、vNM効用関数はその種の態度を単に記録しているのではない。むしろ、人々が貨幣その他の経済的、非経済的な資産の利得可能性と損失可能性に割り当てている相対的な重要性(相対効用)に基づいて、その種の態度を説明しようと試みているのである。
一例として、X氏が、確率1000分の1で1000ドルが当たる籤を5ドルで買おうとしている、という状況を考えよう。X氏はなぜこんなひどい確率の賭けをしようとするのだろうか。これは次のように説明できる。こういう行動をとる以上、X氏は5ドルを失う損失に較べて、1000ドルを得ることに普通では考えられないほど高い効用をつけているはずである。実際、金額比でいうと1000 : 5 = 200 : 1 にすぎないのに、効用と逆効用の比でいうと少なくとも1000 : 1のはずである。(X氏の個人的な事情について知っている場合には、この説明をもっと進めることができることが多い。たとえば自動車がどうしても必要で、その手付金がいるとか、そんな類の事情でまとまったお金が入用であり、それゆえので1000ドルの賞金がほしくてたまらないという説明。他方、5ドルを失うくらいでは食事や住居などの生活に必要な支払いが滞ることはないという事実から、こちらの損失の方には相対的に無関心であるという説明。)
別の言い方をしてみよう。vNM効用関数の測定は、リスク下での行動、あるいは不確実性下での行動をもとにしなければならないものではある。しかしそうやって測定することの本当の目的は、経済的(および非経済的)な複数の選択肢の間に割り当てられている個人的な相対的重要性を表す基数的効用を得ることなのである。(p. 52-53)
これで、vNM効用関数を基数的効用として使うハーサニの議論に内的な一貫性があることが確かめられた。もちろん、このような解釈は可能ではある。しかしこのような解釈が可能であるためには、個人の、リスクに対する中立性が前提になる。つまり、リスクを避けるとか、冒険を好むといったことは存在しないという非現実的な仮定が必要である。ハーサニはvNM効用関数が「リスクに対する態度を表現している」と同時にそれを「説明」していると述べているが、これは間違いである。「リスクに対する態度」を「表現」しているならその「説明」にはならないし、「説明」になるのであればそれが「表現」しているのは「リスクに対する態度」ではなくて「人々が割り当てている相対的な重要性」でなければならない。
リスクに対する中立性仮定の非現実性と、基数的効用→序数的効用→vNM効用という流れに鑑みて、ハーサニのvNM効用関数の解釈は間違いだと私は思う。くわしくはこちら。
Utilitarianism and Beyond (Msh)
- 作者: Sen/Williams
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