秩序問題循環論法説(ちょっとメモ)

1992年

このような理論構成は転倒しているといわねばならない。(中略)究極的価値が繰り込まれた後の単位行為レヴェルにおいて秩序問題の解決を図ろうとすると、先決問題要求の虚偽を犯すことになってしまう。(名部圭一,1992,「パーソンズの行為理論における諸問題――秩序問題は社会学の根本問題か」,『ソシオロジ』37-2,pp. 93-110 (101 f.))

1993年

 ホッブスという17世紀の思想家がいますが、パーソンズは「社会秩序はいかにして可能か」という問題を、ホッブスの名を借りて「ホッブス問題」と呼びました。ホッブスは、個人が自己保存のためだけに行動しうる自然状態においては、万人に対する万人の闘争が生じてしまうということ、その状態は、各人が自然権を主権者に委譲し、従属するという社会契約によって解消されるということ、を主張した人です。それになぞらえて、個人には主体的な(主意主義的な)選択の自由があって、完全に自分の利益だけを追求することができるにもかかわらず――つまり利害の不一致から対立闘争が帰結するはずなのに――社会秩序が成立するのはなぜかという問いが、ホッブス問題です。
 パーソンズは、これを解決することが社会学の根本問題だと考え、また、実際にそれに解決を与えたと考えました。しかしその解決はお粗末なもので、決して真の解決とは言いがたいものでした。彼は次のように結論したのです。すなわちどうして諸個人が集合したときに秩序が成立するのは、そこには、個人の間に共通の価値に対する同調があるのだ、と説明したのです。つまり共通の価値への指向によって、社会秩序を説明したわけです。
 しかし、この説明は明らかに論点先取です。つまり「社会秩序はいかにして可能か」と問いを立てているときに、共通の価値基準への同調(共通の規範への同調)によって説明するわけにはいかない。なぜなら、そもそも共通な価値基準(規範)がどうやって成立するか、が問題なのですから。要するにパーソンズの理論は、結論をあらかじめ前提に入れてその結論を導くという構造になっているわけです。(大澤真幸,1993,「「社会秩序はいかにして可能か」は社会学の基本的な問いである!」,『わかりたいあなたのための社会学・入門』,宝島社,pp. 38-39)

1998年

価値概念の導入はパーソンズの秩序問題が意味をなすための根本前提を突き崩している。初期条件が不完全な第二項に過ぎないのならば、そもそも秩序問題はなかったことになってしまうのである。(左古輝人,1998,『秩序問題の解明』,法政大学出版会,p. 77)

2000年

パーソンズは、社会秩序の可能性についての問題を、「ホッブズ問題」と名づけ、これを社会学の根本問題であるとした。彼自身は、この問題にどう解答したのか? 彼は諸個人の集合が秩序を構成する理由をそれら諸個人が共通の規範に同調しているという事実に求める説明を、構築した。しかし、パーソンズのこの説明が、論点先取の循環論に陥っている。説明されるべきは、この共通の規範への同調がいかにして保証されるのか、なのだから。(大澤真幸,2000,「社会秩序はいかにして可能か?」,大澤真幸(編),『社会学の知33』,新書館,p. 20)