ドイル『緋色の研究』

緋色の研究 (新潮文庫)

緋色の研究 (新潮文庫)

 原題のA Study in Scarletを『緋色の習作』と訳す人がいるらしいんだが、なにそれ? 意味わかんなくね?

I might not have gone but for you, and so have missed the finest study I ever came across: a study in scarlet, eh? Why shouldn't we use a little art jargon. There's the scarlet thread of murder running through the colourless skein of life, and our duty is to unravel it, and isolate it, and expose every inch of it.

延原訳では

君がいなかったら、僕は行かなかったかもしれない。したがって生れてはじめてというこのおもしろい事件を、むなしく逸したかもしれないんだからね。緋色の研究というやつをねえ。
 すこしは芸術的な表現を使ったっていいだろう? 人生という無色の糸桛には、殺人というまっ赤な糸がまざって巻きこまれている。それを解きほぐして分離し、端から端まで一寸きざみに明るみへさらけだして見せるのが、僕らの任務なんだね。

というのが、タイトルが出てくる箇所。で、なんかよく知らんけど、art jargonて書いてあるからここのstudyは芸術用語の「習作」だという説らしい。一読して珍説といわざるをえない。普通に読んだら、ここでart jargonといわれているのはstudyではなくてin scarletの方だろう。その後の比喩的な説明ともつながりがいい。延原訳もそう解釈して段落を分けている。それで正しいと思う。
 さて、とはいえ、ここでstudyといわれているのは研究そのもの、つまり研究することそれ自体や、研究の結果(論文とか)ではなくて、「研究対象」の意味だろう。ワトソンがホームズと初めて会ったとき、アレグザンダー・ポープの

The proper study of mankind is man.

という言葉を引用して、同居してホームズという人間を研究してやるぞ、といっている。延原訳では

人類の正しき研究は個人を見ること

となっているが、元の言葉の意味は「人間が研究対象とすべきなのは人間であって神ではない」ということなので、延原訳が一貫してstudyを「研究」として「研究対象」としていないのは誤訳だと思う。まあともかく、「a study in scarlet」の「study」もこれと同じような用法だと考えられるし、上の引用でホームズが言いたいのは、退屈な日常の中で緋色に輝く研究対象(=殺人事件)を見つけられたら最高だ、危うく見逃すとこだったがワトソン君のおかげで見逃さないですんだよありがとう、ということなので、"a study in scarlet"は「緋色の研究対象」と訳すのがどうしても正解だと思う。ただこれをそのままタイトルにするとかっこ悪いので、本自体のタイトルはやはり『緋色の研究』でいいと思う。(ちなみにこの「緋色」は血の色ではない。)
 「習作」と訳している人たちは上の箇所をどう処理しているんだろう。ちょっと気になる。

追記

さっき図書館でちらっと見てきたら、

the finest study I ever came across: a study in scarlet

の前者を「研究対象」、後者を「習作」としていた。ありえない訳し方だ。
 あと、作品の最後にも、結局警察の手柄になることを指して、ホームズが

"Didn't I tell you so when we started?" cried Sherlock Holmes with a laugh. "That's the result of all our Study in Scarlet: to get them a testimonial!"

と述べる場面がある。延原訳だと

「だから僕は初めからいっているんだ。僕らの犯罪研究の結果は、ただ彼らに記念品をもらわせてやることになるだけさ」

となって「Study in Scarlet」が「犯罪研究」になっているが、ここでの「Study」は「研究対象」ではなくて「研究活動」の方だろう。要するに、2箇所出てくる「Study in Scarlet」のうち前者が「研究対象」、後者が「研究活動」なので、タイトルはどちらにも使える『緋色の研究』でFA。