柳沢厚生労働大臣の発言の件

 この件は、柳沢は「女性は産む機械である(それが主である、それ以外の何物でもない)」などとは言っていないにもかかわらず、あたかもそれに類した発言をしているかのように報じる新聞各紙に腹が立つし、それを馬鹿みたいに騒ぎ立てる野党(与党も)の連中にも腹が立つし、何より馬鹿みたいにすぐ謝る柳沢自身にも腹が立つ。この、程度の低い言葉遊びにうんざりしないのだろうかマスコミの人たちは。
 さてそれで、ほんとはみんなわかっているのだと思うのだが、少子化対策というのは、産む機械、装置の数が一定であることを前提に、一台あたりの生産数を増やそうという政策以外の何物でもない。別に機械とか装置とかいわないでも本質は同じことだ。柳沢発言はこのことを明示し、周りから否定的な反応を買うことで、少子化対策の本質がある種の人々から批判されるものであることを暴露してしまった。こうなるともう、少子化対策は主ではありえなくなる。つまり、女性を産む機械として扱うのではないような政策、(ある種の)女性に利益になるような政策の副次効果として、あれば望ましいという程度のものでしかなくなる。(ある種の)女性に不利益になるような少子化対策は、女性を産む機械として扱う「柳沢的」非人道的愚策として非難されるのが明らかだ。最悪なのは少子化対策として少子化対策でない政策が採られることで、これを避けるためには、柳沢発言が少子化対策の本質を示していることを認めたうえで、それでも少子化対策続けますか、と問うべきではないだろうか。
 ちなみに女性の持つ子供生産機能に排他的に特化した発言をしただけで、あたかもその機能が女性の本質であるという趣旨であるかのように報じられ、批判され、本人が謝るというのは、「機能思考とは、ある目的のために、人為的・一時的に一つの機能に注目することであって、この観点選択自体はつねにキャンセル可能である」というルーマンの強調した点を見事に誰も踏まえていないということであって、ルーマンの人気がないのもむべなるかなと思ったりもする。