今日の産経主張・毎日社説

【主張】NHK訴訟判決 「期待権」判断はおかしい

(前略)
 期待権については、条件付きながら認める判断を示した。放送事業者の編集の自由について、ドキュメンタリー番組や教養番組などでは「特段の事情がある場合は一定の制約を受ける」と判断し、今回のケースはこれに当たるとして、「NHKの責任は重大」と、NHKに賠償を命じた。
 しかし、期待権を拡大解釈すれば、放送事業者の「編集の自由」の制約につながる。取材する側が萎縮して番組を制作することにもなりかねない。
(後略)

昨日から「拡大解釈すれば」という懸念が結構見られるが、拡大解釈しないでも「編集の自由」は制約を受けるという判決なんだが。「萎縮」というのかわからないが、取材対象者に特定の期待を抱かせないような協力依頼をする工夫が必要にはなるだろう。
 毎日社説もこの点、批判的に指摘しているが・・・

NHK 取材制約招く判決を導いた

(前略)
 これでは期待権が拡大解釈され、取材現場で幅を利かせる懸念が生じる。取材される側が報道や番組内容に過大な期待をかけたり、さまざまな注文を付けたりするケースが増えるかもしれない。しかし取材の結果、取材相手の意向に沿わない報道や番組になるのはよくあることだ。それが自由な報道や番組作りというものだ。
 裁判官は取材現場の実情を理解していないのではないか。判決は結果的に取材・報道の自由を制約し、報道に携わる者を萎縮させかねない。それは、国民の「知る権利」に十分応えられない事態を招く恐れがある。
 市民団体を直接取材した孫請けの制作会社は「民間法廷をありのまま伝える」などと説明し、通常は外部に見せない番組進行の案まで渡して期待を抱かせた。未熟な取材と、それを知りながら十分に対応しなかったNHKの姿勢がこの判決を引き出した。その責任の重大さを認識すべきだ。
http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/shasetsu/news/20070131ddm005070059000c.html

 別に、NHKが駄目だから期待権が法的権利として認められたわけではないわけで。「お前のせいで神様がお怒りになった。わしらにまで塁が及ぶやないか。どうしてくれるんや。」などという愚痴は社説に書くようなものではない。
 ところで「編集権を放棄したに等しい」と判断されたというが、正直どういう意味なのかよくわからない。朝日のサイトに載っていた「判決理由の要旨」によると、

【説明義務違反】放送番組の制作者や取材者は、番組内容や変更などについて説明する旨の約束があるなど特段の事情があるときに限り、説明する法的な義務を負う。本件では、NHKは憲法で保障された編集の権限を乱用または逸脱して変更を行ったもので、自主性、独立性を内容とする編集権を自ら放棄したものに等しく、原告らに対する説明義務を認めてもNHKの報道の自由を侵害したことにはならない。
http://www.asahi.com/national/update/0129/TKY200701290340.html

 つまり、NHKは取材対象に対する説明義務を果たさなかったのでいかん。ところで取材対象に対する説明義務は一般には認められない。なぜなら説明義務を認めるということは報道の自由を侵害することになるからだ。しかし今回の事例では、NHKは編集権を自ら放棄しているので、説明義務を認めても報道の自由の侵害にはならない。なぜ放棄しているといえるかというと、編集権を乱用または逸脱しているからだ。
 という推論だと思うが、では「編集権の乱用または逸脱」というのは何かというと、これは期待権侵害ということだと思う。それ以外に編集権を制約するものは登場してきていない。ということは期待権を侵害するような編集を行うことは、編集権を放棄することを意味するという理屈なのだろうか。
 一つ納得できる解釈は、編集作業のうち、編集権を乱用または逸脱したような部分については、編集権によって保護されるわけではない、というほとんどトートロジーのようなものだが、それでいいのだろうか。しかしこれで正しいとしたら「編集権を放棄した」みたいな書き方は変なのではないかと思う。