西阪仰「秩序は逸脱する」

西阪 仰,1997,「秩序は逸脱する――社会システムはどんなシステムか」,『大航海』16,pp. 140-146

一点だけ。

もともと社会秩序の場合、逸脱と秩序は相矛盾するものではないのだ。むしろ、「逸脱」という判断がそもそも成立しえないところ、つまり「よい/悪い」の判断のないところ、つまり何をやっても「よい」ところ、そのようなところこそ、「無秩序」と呼ぶにふさわしい。(p. 144)

逸脱と秩序が矛盾しないということは、逸脱というのは秩序からの逸脱じゃないということ。用語があてられていないけど、まあ「規範」ということにしといて、規範に従うことを順応、従わないことを逸脱というと。で、規範は社会成員の了解に存するので、順応(よい)も逸脱(悪い)も成員の了解(=判断)の中に存すると。そして、規範の存在(不在)が秩序の存在(不在)を意味すると。ところで、

第一に、「逸脱」は当該社会秩序の(p. 145)一部であること。第二に、したがって社会秩序は、なんらかの行動上のパターンもしくは経験的一様性なのではないこと。そうではなく、社会秩序は成員たちの判断のうちにあること。(p. 144-145)

と書かれている。「社会秩序は成員たちの判断のうちにある」というのは「秩序があるかないかは成員が判断する」という意味であれば間違っている(上の議論と合致しない)。あと、順応/逸脱を成員の判断に帰すことは、秩序を「操作の連続」(p. 145)として捉えなければならないことを含意しない(「規範の存在」という静態的な定義も可能)。