セルズニック「書評論文『タルコット・パーソンズの社会理論』」

Selznick, Philip, 1961, “Review Article: The Social Theories of Talcott Parsons,” American Sociological Review 26, pp. 932-935

三谷メモ

パーソンズは独自の実質理論を全然提供していないという評価は、要するにパーソンズなんて検討や批判に値しないということを含意するわけで、読むなら社会学全般の教科書としてだけど、書いてることがわかりにくいから教科書としてはお勧めできない、結局パーソンズ不要論、ということつながるはずなのだけど、いまだに細々ながら読まれているのはなぜかというと、それは少なくとも表面的にはパーソンズを批判して登場した諸理論が流行ることで、あたかもパーソンズ社会学内部の特殊な立場(実質理論)であるかのように見えたから、つまりは批判されることで居場所を失わずにすんだというのが真相であって、左翼のイデオロギー攻撃にあって沈没したというのは間違いだと思う。攻撃されなければもっと早く廃れていたということ。

  • The Social Theories of Talcott Parsons: A Critical Examinationの書評論文。
  • Parsons理論は「裸の王様」じゃないか(立派な着物を着ているようにいうけど、ほんとに着物が存在するの?)とかいう人がいるよ。
  • 理論的な仕事に対して我慢ができない人が多くて困るけど、我慢には限界もあるよ。
  • Parsonsの文章は抽象的な哲学議論に慣れた人でさえ、何書いているのかわからんよ。評価なんかとてもだよ。
  • 本書はコーネル大学の教員が2年間かけて議論した成果だよ。寄稿者は哲学者1人(Black)、心理学者2人(Baldwin, Bronfenbrenner)、社会学者4人(Devereux, Landsberger, Whyte, Williams)、経済学者1人(Morse)、政治学者1人(Hacker)と、Parsons自身の10人だよ。みんな文体は優しいけど評価は容赦ないよ。
  • 本書の大半はParsons理論の紹介で、好意的な評価も載っているけど、実は好意的に評価されているのはParsons自身の議論じゃなくて社会学一般の考え方なので、何か変な感じだよ。
  • 一方で、Parsons自身の定式化は容赦なく非難されているよ。特に、Baldwinなんかは、具体的な話をするParsonsはいいが、理論家としてしゃべり始めると途端に駄目になる、みたいなことをいうよ。
  • Parsons理論をきちんと評価するには、(a)社会学の基本公準をどう表現しているか、(b)自分独自の立場をどう定式化しているか、(c)既存の知見をどう組み込んでいるか、(d)具体的な事例にどう応用しているか、(e)具体的な対象についてどんな仮説を立てているか、この5つをきちんと分けないといけないよ。本書の欠点はそういう作業を体系的にしていない点だよ。

Parsonsに独自のパースペクティヴ、社会学についての『哲学』があるだろうか。私はないと思う。最近のParsonsの著作は拡散的で折衷的で、彼独自の観点というのを見つけるのがほとんど不可能である。彼の『システム』は、どんなものでも吸収し組み込むことができるような種類のものだと思う。Parsonsの機能主義観には、『機能分析という特殊な方法ないし理論体系があって、社会学社会人類学内部の別の方法や理論と区別できる』という考え方を否定したKingsley Davisの批判が明らかに当てはまる。この批判は、Parsonsが『機能要件』や『社会的システム』について他の人よりも強調していてまたその使用に自覚的であるということを否定するものではない。そうではなくて、社会的構造の存続や変換に関心を持つ社会学者なら、誰でも最終的にはその種の論理を採用せざるを得ない、といっているのである。そこでParsonsだが、機能主義についていえば、自分の分析を新しい理論体系として呈示するという論じ方よりは、これまで我々が(少なくとも一定の問題を論じる際に)どんなやり方をとってきたかを明示するという論じ方にした方がよかったと思う。理論体系として呈示するんであれば、不明確な預言みたいな書き方をしないで、もっと明確に書く責任を引き受けるべきだった。(p. 934)