「不自由」論

「不自由」論―「何でも自己決定」の限界 (ちくま新書)

「不自由」論―「何でも自己決定」の限界 (ちくま新書)

  • プロローグ。

自由とか自然とか言うけどほんとはよくわかんないよねという話。

  • 第一章「「人間は自由だ」という虚構」。

自然な人間なんて陳腐で画一的でつまんなくて野蛮だよ。むしろかぶる仮面の多様性の方が人間らしいよ。でも昔ギリシャでそれが可能だったのは公私分離が徹底していたからで、私がどんどんにじみ出てきている現代の公はそういう場として期待できないよ。という話。

  • 第二章「こうして人間は作られた」。

同じくコミュニケイションを人間性の本質とみていても、それを普遍化して考えてしまうハーバーマスより、その西欧特殊性を自覚しているアーレントのほうが偉いよ、という話。

  • 第三章「教育の「自由」の不自由」。

「主体的に生きること」を他人から教えてもらうというのは、論理的には矛盾である。(119頁)

そういうのは論理的矛盾とはいわないんだけどなー。まあそれはともかく。教育関係者(学者や官僚)は子供は自由にさせれば自然な人間性を発現すると思い込んでいて馬鹿で困ったね。むしろ教育というのは特定の文脈化での「型」の習得であるべきだ、という話。

  • 第四章「「気短な人間」はやめよう」。

自己決定とかいうけど、自分の中に決定基準が確定していて介入がなければ自由に決定できるというのは嘘で、本当は決定に際しては決定基準自体(自己決定というときの自己)の問い直し作業も伴わないといけないのだけど、それは不効率だからできないようになってるよ。いかんよね。という話。