Two Dogmas of Empiricism

論理的観点から―論理と哲学をめぐる九章 (双書プロブレーマタ)

論理的観点から―論理と哲学をめぐる九章 (双書プロブレーマタ)

に所収の「経験主義の二つのドグマ」(英文)(このリンク先は、1951年雑誌初出時と1961年所収著書改訂版の異同を示してくれている)。

要約
近代の経験主義はその大半が、次の二つのドグマに囚われてきた。一つは、分析的な、つまり事実から独立した意味に基づく真理と、綜合的な、つまり事実に基づく真理との間には根本的な断絶があるという信念である。もう一つのドグマは還元主義、つまり有意味な文は、直接的な経験を表す語同士を論理的につなげたものと同値であるという信念である。本稿では、この二つのドグマがいずれも根拠薄弱であることを示す。これらのドグマを取り払うことで、一つには思弁的形而上学と自然科学の間の境界がこれまで考えられてきたよりも曖昧になり、もう一つにはプラグマティズムへの移行が生じる。

構成
1 分析性の背景
2 定義
3 互換性
4 意味論的規則
5 検証理論と還元主義
6 ドグマなき経験主義


【私の理解】
 文が真であるとはどういうことか。普通は、その内容が事実なら真で、事実でないなら偽であるという。だから言葉の世界と現実の世界を分けて、言葉の世界で文が真であるかどうかは、現実の世界で事実がどうなっているかを調べればわかる。こういう意味での真理を、綜合的真理(synthetic truth)という。
 ところが文の中には、現実の世界で事実がどうであっても必ず真であるような文というのが存在する。「独身者は結婚していない」とかがそれだ。このように事実と無関係に、言葉の意味だけで成立する真理を、分析的真理(analytic truth)という。
 分析的真理の基礎になるのが論理的真理である。

No unmarried man is married.
(結婚していない人の中に、結婚している人はいない)

がその一例である。その特徴は、事実がどうなっているかということはもちろん、言葉の意味とすら無関係に真理であることである。これに対して、

No bachelor is married.
(独身者に結婚している人はいない)

となると、これはbachelor(独身者)とかmarried(結婚している)といった言葉の意味が、文の真理性に関わってくるのでこれは論理的な真理ではない。
 では後者はどうして分析的真理だといえるのか。とりあえずいえるのは、「bachelor(独身者)」のところにこの言葉と同義語である「unmarried man(結婚していない人)」を代入することによって前者の論理的真理の形にすることができるということである。
 したがってそれ自体が論理的真理ではないような分析的真理にとって、その分析性の要となるのは同義性(synonymy)、つまり意味(meaning)が同じということである。
 では言葉の意味が同じとはどういうことか。
 まず、意味が同じということと、指示対象が同じということは違う。同じ対象を指示しながら、意味の異なる言葉というのは存在する(「心臓を持つ生物」と「腎臓を持つ生物」とか)。
 次に、ある言葉が別の言葉を定義しているから、両者の意味は同じだ、という理解もよろしくない。新しい記号を創出する場合を除き、往々にして定義というものは、既存の用法において同義だとされていることの報告にすぎない。辞書を書く人はもちろん、難解な用語を親近な用語で定義する哲学者もそうである。だから定義で同義性を説明することはできない。
(途中)