朝日訴訟判例




事実の概要

別冊ジュリスト No.187 憲法判例百選2
X(原告・被控訴人・上告人)は,国立の療養所に入所しており,生活保護法に基づき厚生大臣の設定した生活扶助基準で定められた最高金額の月600円の日用品費の生活扶助と全部給付の給食付医療扶助とを受けていた。昭和31年7月にXの実兄に対して,市の社会福祉事務所長は,毎月1500円をXに仕送りするように命じた。そして,同所長は同年7月18日付けで,同年8月1日以降Xの生活扶助を廃止し,かつ,上記仕送り金月額1500円から日用品費月額600円を控除した残額月900円を医療費の一部自己負担額としてXに負担させ,これを差し引いた残部について医療扶助を行う旨の保護変更決定(以下「本件保護変更決定」という)をした。Xは,同年8月6日,県知事に対し不服申立てをしたが,同知事は同年11月10日これを却下する旨を決定した。そのため,Xは同年12月3日,上記却下決定を不服としてY(厚生大臣被告・控訴人・被上告人)に不服申立てをしたが, Yは昭和32年2月15日付けで本件保護変更決定を認容して,上記申立てを却下する旨の裁決(以下「本件裁決」という)をした。そこで,XはYに対して,上記600円の基準金額が生活保護法の規定する健康で、文化的な最低限度の生活水準を維持するに足りない違法なものであると主張して,東京地裁に本件裁決は違法であるとして裁決取消請求訴訟を提起した。
第1審判決(東京地判昭和35・10・19行集11巻10号2921頁)は,厚生大臣による保護基準の設定は,憲法25条に由来する生活保護法3条・8条2項の規定によって拘束されるいわゆる覊束行為であると述べたうえで,Xの主張を認容し,本件保護変更決定は違法であるとしてYの裁決を取り消した。第2審判決(東京高判昭和38・11・4行集14巻11号1963頁)は,厚生大臣による保護基準の設定は覊束裁量行為であるとしたうえで,本件保護基準は「いかにも低額に失する感は禁じ得ない」が,裁判所が確信を持って違法とは断定はできないとして,第1審判決を取り消し,Xの主張を退けた。その後,Xは昭和38年11月20日に上告したものの,昭和39年2月14日に死亡した。Xの養子で相続人であるA,Bが本件訴訟を続けたため,最高裁ではその訴訟の承継が争われた。




主文

本件訴訟は、昭和39年2月14日上告人の死亡によつて終了した。
中間の争いに関して生じた訴訟費用は、上告人の相続人D、同Eの負担とする。


理由

本件上告理由は、別紙記載のとおりである。
職権をもつて調査するに、上告人は、昭和38年11月20日本件上告の申立をしたが、昭和39年2月14日死亡するにいたつたこと、記録上明らかである。
上告人は、十数年前からF療養所に単身の肺結核患者として入所し、厚生大臣の設定した生活扶助基準で定められた最高金額たる月600円の日用品費の生活扶助と現物による全部給付の給食付医療扶助とを受けていた。ところが、同人が実兄Gから扶養料として毎月1,500円の送金を受けるようになつたために、津山市社会福祉事務所長は、月額600円の生活扶助を打ち切り、右送金額から日用品費を控除した残額900円を医療費の一部として上告人に負担させる旨の保護変更決定をした。同決定が岡山県知事に対する不服の申立および厚生大臣に対する不服の申立においても是認されるにいたつたので、上告人は、厚生大臣を被告として、右600円の基準金額が生活保護法の規定する健康で文化的な最低限度の生活水準を維持するにたりない違法のものであると主張して、同大臣の不服申立却下裁決の取消を求める旨の本件訴を提起した。
おもうに、生活保護法の規定に基づき要保護者または被保護者が国から生活保護を受けるのは、単なる国の恩恵ないし社会政策の実施に伴う反射的利益ではなく、法的権利であつて、保護受給権とも称すべきものと解すべきである。しかし、この権利は、被保護者自身の最低限度の生活を維持するために当該個人に与えられた一身専属の権利であつて、他にこれを譲渡し得ないし(59条参照)、相続の対象ともなり得ないというべきである。また、被保護者の生存中の扶助ですでに遅滞にあるものの給付を求める権利についても、医療扶助の場合はもちろんのこと、金銭給付を内容とする生活扶助の場合でも、それは当該被保護者の最低限度の生活の需要を満たすことを目的とするものであつて、法の予定する目的以外に流用することを許さないものであるから、当該被保護者の死亡によつて当然消滅し、相続の対象となり得ない、と解するのが相当である。また、所論不当利得返還請求権は、保護受給権を前提としてはじめて成立するものであり、その保護受給権が右に述べたように一身専属の権利である以上、相続の対象となり得ないと解するのが相当である。
されば、本件訴訟は、上告人の死亡と同時に終了し、同人の相続人D、同Eの両名においてこれを承継し得る余地はないもの、といわなければならない。




(なお、念のために、本件生活扶助基準の適否に関する当裁判所の意見を付加する。
一、憲法25条1項は、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」と規定している。この規定は、すべての国民が健康で文化的な最低限度の生活を営み得るように国政を運営すべきことを国の責務として宣言したにとどまり、直接個々の国民に対して具体的権利を賦与したものではない(昭和23年(れ)第205号、同年9月29日大法廷判決、刑集2巻10号1235頁参照)。具体的権利としては、憲法の規定の趣旨を実現するために制定された生活保護法によつて、はじめて与えられているというべきである。生活保護法は、「この法律の定める要件」を満たす者は、「この法律による保護」を受けることができると規定し(2条参照)、その保護は、厚生大臣の設定する基準に基づいて行なうものとしているから(8条1項参照)、右の権利は、厚生大臣が最低限度の生活水準を維持するにたりると認めて設定した保護基準による保護を受け得ることにあると解すべきである。もとより、厚生大臣の定める保護基準は、法8条2項所定の事項を遵守したものであることを要し、結局には憲法の定める健康で文化的な最低限度の生活を維持するにたりるものでなければならない。しかし、健康で文化的な最低限度の生活なるものは、抽象的な相対的概念であり、その具体的内容は、文化の発達、国民経済の進展に伴つて向上するのはもとより、多数の不確定的要素を綜合考量してはじめて決定できるものである。したがつて、何が健康で文化的な最低限度の生活であるかの認定判断は、いちおう、厚生大臣の合目的的な裁量に委されており、その判断は、当不当の問題として政府の政治責任が問われることはあつても、直ちに違法の問題を生ずることはない。ただ、現実の生活条件を無視して著しく低い基準を設定する等憲法および生活保護法の趣旨・目的に反し、法律によつて与えられた裁量権の限界をこえた場合または裁量権を濫用した場合には、違法な行為として司法審査の対象となることをまぬかれない。
原判決は、保護基準設定行為を行政処分たる覊束裁量行為であると解し、なにが健康で文化的な最低限度の生活であるかは、厚生大臣の専門技術的裁量に委されていると判示し、その判断の誤りは、法の趣旨・目的を逸脱しないかぎり、当不当の問題にすぎないものであるとした。覊束裁量行為といつても行政庁に全然裁量の余地が認められていないわけではないので、原判決が保護基準設定行為を覊束裁量行為と解しながら、そこに厚生大臣の専門技術的裁量の余地を認めたこと自体は、理由齟齬の違法をおかしたものではない。また、原判決が本件生活保護基準の適否を判断するにあたつて考慮したいわゆる生活外的要素というのは、当時の国民所得ないしその反映である国の財政状態、国民の一般的生活水準、都市と農村における生活の格差、低所得者の生活程度とこの層に属する者の全人口において占める割合、生活保護を受けている者の生活が保護を受けていない多数貧困者の生活より優遇されているのは不当であるとの一部の国民感情および予算配分の事情である。以上のような諸要素を考慮することは、保護基準の設定について厚生大臣の裁量のうちに属することであつて、その判断については、法の趣旨・目的を逸脱しないかぎり、当不当の問題を生ずるにすぎないのであつて、違法の題題を生ずることはない。


二、本件生活扶助基準そのものについて見るに、この基準は、昭和28年7月設定されたものであり、また、その月額600円算出の根拠となつた費目、数量および単価は、第一審判決別表記載のとおりである。
生活保護法によつて保障される最低限度の生活とは、健康で文化的な生活水準を維持することができるものであることを必要とし(3条参照)、保護の内容も、要保護者個人またはその世帯の実際の必要を考慮して、有効かつ適切に決定されなければならないが(9条参照)、同時に、それは最低限度の生活の需要を満たすに十分なものであつて、かつ、これをこえてはならないこととなつている(8条2項参照)。本件のような入院入所中の保護患者については、生活保護法による保護の程度に関して、長期療養という特殊の生活事情や医療目的からくる一定の制約があることに留意しなければならない。この場合に、日用品費の額の多少が病気治療の効果と無関係でなく、その額の不足は、病人に対し看過し難い影響を及ぼすことのあるのは、否定し得ないところである。しかし、患者の最低限度の需要を満たす手段として、法は、その需要に即応するとともに、保護実施の適正を期する目的から、保護の種類および範囲を定めて、これを単給または併給することとし、入院入所中の保護患者については、生活扶助のほかに給食を含む医療扶助の制度を設けているが、両制度の間にはおのずから性質上および運用上の区別があり、また、これらとは別に生業扶助の制度が存するのであるから、単に、治療効果を促進しあるいは現行医療制度や看護制度の欠陥を補うために必要であるとか、退院退所後の生活を容易にするために必要であるとかいうようなことから、それに要する費用をもつて日用品費と断定し、生活扶助基準にかような費用が計上されていないという理由で、同基準の違法を攻撃することは、許されないものといわなければならない。
さらに、本件生活扶助基準という患者の日用品に対する一般抽象的な需要測定の尺度が具体的に妥当なものであるかどうかを検討するにあたつては、日用品の消費量が各人の節約の程度、当該日用品の品質等によつて異なるのはもとより、重症患者と中・軽症患者とではその必要とする費目が異なり、特定の患者にとつてはある程度相互流用の可能性が考えられるので、単に本件基準の各費目、数量、単価を個別的に考察するだけではなく、その全体を統一的に把握すべきである。また、入院入所中の患者の日用品であつても、経常的に必要とするものと臨時例外的に必要とするものとの区別があり、臨時例外的なものを一般基準に組み入れるか、特別基準ないしは一時支給、貸与の制度に譲るかは、厚生大臣の裁量で定め得るところである。
以上のことを念頭に入れて検討すれば、原判決の確定した事実関係の下においては、本件生活扶助基準が入院入所患者の最低限度の日用品費を支弁するにたりるとした厚生大臣の認定判断は、与えられた裁量権の限界をこえまたは裁量権を濫用した違法があるものとはとうてい断定することができない。)
よつて、民訴法95条、89条に従い、裁判官奥野健一の補足意見および裁判官草鹿浅之介、同田中二郎、同松田二郎、同岩田誠の反対意見があるほか、全裁判官一致の意見により、主文のとおり判決する。




裁判官奥野健一の補足意見は、次のとおりである。
私は、多数意見のごとく、いわゆる保護受給権が生活に困窮する要保護者又は被保護者に対し、その者の最低限度の生活の需要を満すことを目的として与えられたものであることにかんがみ、保護受給権それ自体はもとより、被保護者の生存中の生活扶助料ですでに遅滞にある分の給付を求める権利も、その性質上、一身専属の権利であつて他にこれを譲渡したり相続することが許されないという理由で、本件訴訟の承継を否定するものである。
そもそも、訴訟承継の制度は、訴訟係属中に当事者の死亡、資格の喪失、訴訟物
の譲渡等があつても、訴訟物に関する争いが客観的には落着していないのに訴訟は終了したものとして新訴の提起を要請することが訴訟経済に反するところから、右の事由が生じてもなお訴訟は同一性を維持するものと擬制し、承継人をして在来の当事者に代わつて訴訟を追行せしめんとする制度であつて、この訴訟の承継が認められるのは、訴訟の対象たる権利又は法律関係の承継がある場合か、訴訟の対象たる権利又は法律関係の承継人でなくても特に法令により訴訟追行権を与えられている場合でなければならない。そして、この理は、行政訴訟においても異なるところはない。しかるに、本件訴訟は、津山市福祉事務所長の保護変更決定を是認した厚生大巨の不服申立却下裁決の取消を求める訴であつて、特定の保護金品の給付を求める訴ではなく、上告人の相続人たるD、同Eの両名は、上告人に与えられた保護受給権の承継人でないのはもとより、特に法令により右却下裁決の取消しにつき訴訟追行権を与えられている者でもない。従つて、本件訴訟は、上告人の死亡と同時に終了し、その相続人らにおいてこれを承継する余地がない、といわざるを得ない。
右の結論は、所論のように上告人の生存中の生活扶助料ですでに遅滞にある分の給付を求める権利が相続の対象となり得ると解するとしても、この権利が本件訴訟の対象となつていない以上、そのことによつて左右されるものではない。
反対意見の裁判官は、不当利得返還請求権を論拠として、本件訴訟の承継を肯認すべきであるとされる。しかし、そのいわゆる不当利得返還請求権なるものは、保護変更決定により、医療費の一部自己負担金に繰り入れられた月額900円を限度として、そのうち、本件生活扶助基準金額と適正な生活扶助基準金額との差額に相当する部分について成立するものと考うべきであるところ、これは本件却下裁決が取り消されることを前提としてはじめて成立するものであるが、裁決の取消を求める権利自体、保護決定を受けた者のみに専属する権利であつて、相続人による相続が許されないものである。従つて、前記両名は、不当利得返還請求権を論拠として本件訴訟を承継することもできない。
されば、当裁判所としては、本件訴訟は上告人が昭和39年2月14日死亡したことによりすでに終了したものとして、訴訟終了の宜言をなすべきである。
私は、以上のごとく、本件訴訟はすでに終了したものと解する以上、最早事件は裁判所に係属していないのであるから、本件生活扶助基準の適否について論ずることは、余り意味のないことであると考えている。しかし、多数意見が念のために付加した意見や田中裁判官の反対意見の中で示された保護受給権の性質に関する見解には賛同することができず、この点が本件訴訟における本案の基本問題であり、また、前記訴訟承継の問題とも関連するところがあるので、敢えて、それについての私の考え方を述べておくこととする。
憲法25条1項は、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」と規定している。この憲法の規定は、直接個々の国民に対し生存権を具体的・現実的な権利として賦与したものではなく、すべての国民が健康で文化的な最低限度の生活を営み得るよう国政を運営すべきことを国の責務として宣言したものと解されている(昭和23年(れ)第205号、同年9月29日大法廷判決、刑集2巻10号1235頁参照)。そしてまた、「健康で文化的な最低限度の生活」なるものは、固定的な概念ではなくして、当該社会の実態に即応して確定されるべきものであり、その具体的内容も算数的正確さをもつて適正に把握し難いものであることはいうまでもない。しかしながら、右の規定が生存権を、単なる自由権として、すなわち、国が国民の生存を不当に侵害するのを防止し、または、国に対して不当な侵害からの保護を求め得るという消極的な権利としてではなく、前叙のごとく、積極的に、すべての国民が健康で文化的な最低限度の生活を営み得るような施策を講ずべきことを国の責務として要請する権利として捉えているところに新憲法の近代的憲法としての特色があるものといわなければならない。このことに思いをいたせば、憲法は、右の権利を、時の政府の施政方針によつて左右されることのない客観的な最低限度の生活水準なるものを想定して、国に前記責務を賦課したものとみるのが妥当であると思う。従つてまた、憲法25条1項の規定の趣旨を実現するために制定された生活保護法が、生活に困窮する要保護者又は被保護者に対し具体的な権利として賦与した保護受給権も、右の適正な保護基準による保護を受け得る権利であると解するのが相当であつて、これを単に厚生大臣が最低限度の生活を維持するに足りると認めて設定した保護基準による保護を受け得る権利にすぎないと解する見解には、私は承服することができないのである。そして、保護受給権を上記のように解する以上、厚生大臣の保護基準設定行為は、客観的に存在する最低限度の生活水準の内容を合理的に探求してこれを金額に具現する法の執行行為であつて、その判断を誤れば違法となつて裁判所の審査に服すべきこととなる。
しかしながら、以上のように、厚生大臣の定める保護基準は客観的に存在する最低限度の生活水準に合致した適正なものでなければならないからといつて、適正に設定された保護基準の内容がその後のある時点において右の基準線に完全に合致しないというだけの理由で、直ちに当該基準を違法と認めるべきことにはならない、といわなければならない。何となれば、生活保護法は、保護実施担当官の主観を排し、要保護者の生活困窮の程度に応じた必要な保護が行なわれることを企図して、保護の実施は厚生大臣の定める保護基準によらしめることとしているのであるが、そもそも、健康で文化的な最低限度の生活なるものは、前叙のごとく、固定的な概念でなく、その具体的内容は、当該社会の実態を勘案し、要保護者の経済的需要の種類、態様並びに年令別、性別、世帯構成別、所在地域別その他の事情を調査して決定しなければならないため、厚生大臣が保護基準を設定するためには相当長期の日時を必要とする。しかも、右の内容は、文化の発達、国民経済の進展に伴つて向上するものであるから、或る時点において設定した保護基準をその後における諸般の情勢の変化に絶えず即応せしめるがごときことは、いうべくして行ない得ないからである。そこで、適正に設定された保護基準の内容が、その後の情勢の変化により生活の実態を正確に反映しないことになつたとしても、基準の改訂に要する相当の期間内であれば、当該時点における基準と生活の実態との乖離が憲法及び生活保護法の趣旨・目的を著しく逸脱するほどのものではないと認められる限り、それは、保護基準という制度を設けたことによるやむを得ない結果として法の容認するところであつて、まだもつて違法と断ずることは許されないといわざるを得ない。原判決の確定した事実によれば、本件生活扶助基準は、昭和28年7月いわゆるマーケツト・バスケツト方式なる理論生計費算定方法に従つて一般の生活扶助基準を作成し、これに入院入所患者の生活という特殊の事情を加味して設定されたものであるというのであつて、それは、当時のわが国の経済状態、文化の発達、一般国民生活の状態等に照らして、一応当時における客観的な最低限度の生活水準に副つたものと認められる。また、原判決の確定した事実によれば、わが国の国民経済は、右昭和28年7月から翌29年末まではさほど顕著な変動を示さなかつたが、昭和30年度において急激に発展し、昭和31年度、殊にその下半期にいたり、一般の予想を上廻る成長を遂げ、これに伴い、国税の自然増収もにわかに増加し、消費生活の向上、物価の騰貴をきたし、前示変更決定の行なわれた昭和31年8月当時、すでに、本件生活扶助基準の内容は、景気の上昇により、いわゆる補食費を除いても、入院入所3か月以上に及ぶ長期療養患者の健康で文化的な最低限度の生活の需要を満たすに十分なものではなく、早晩改訂されるべき段階にあつた、ところで、右景気変動の結果は、翌年度にならなければ適確に把握しがたかつた、というのである。されば、右の事実関係の下においては、本件生活扶助基準で定められた月額600円なる金額は低きに失するきらいはあるが、まだもつて違法とは認められないとした原審の判断は、前段説示の理由により、これを首肯し得ないわけではない。




裁判官田中二郎の反対意見は、次のとおりである。
一 多数意見は、「本件訴訟は、上告人の死亡と同時に終了し、同人の相続人D、同Eの両名においてこれを承継し得る余地はない」として、上告理由とは無関係に、前提問題で、訴訟終了の判決を下したが、私は、この考え方には賛成しがたい。
なるほど、本件訴訟の承継が肯認されるべきかどうかは、疑問の余地のある問題である。しかし、行政事件訴訟における訴訟要件は、これをできるだけゆるやかに解釈し、裁判上の救済の門戸を拡げていこうというのが、近時、諸外国におけるほぼ共通の傾向であり、それは、行政権に対する人民の救済制度である行政事件訴訟、殊に抗告訴訟の性質に照らし十分の理由があることにかんがみ、わが国においても、理論上可能な限り、いわゆる門前払いの裁判をすることを避け、事案の実体に立ち入つて判断を加えることが、国民のための裁判所として採るべき基本的な態度ではないかと、私は考える。
右のような見地から翻つて本件をみると、本件訴訟の承継は、理論上もこれを肯認し得ないわけではなく、そうである以上、本案の内容に立ち入つて、上告理由で主張する諸論点について、裁判所の判断を明らかにするのが妥当な態度ではなかつたかと考えるのである。
右のような考え方に立つ以上、私としては、多数意見に反し、本件訴訟の承継が肯認されるべき理由を明らかにするとともに、さらに進んで、上告人の主張する上告理由について、私の意見を述べておきたいが、多数意見によつて、本件訴訟はすでに終了したものとされた以上、上告理由のいちいちについて、逐次、詳細に答えることは、あまり意味のないことであるから、私としては、ただ、憲法25条の生存権の保障をめぐつて国民の重大な関心を集めている本件訴訟の主要な問題点について、上告理由を手がかりとしながら、基本的な考え方を示すだけに止めておくこととしたい。


二 私が多数意見に反して本件訴訟の承継を肯認すべきものとする理由は、次のとおりである。
多数意見は、生活保護法の規定に基づき要保護者又は被保護者が国から生活保護を受けるのは、単なる国の恩恵ないし社会政策の実施に伴う反射的な利益ではなく、法的権利であつて、保護受給権とも称すべきものであるとし、この権利は、被保護者自身の最低限度の生活を維持するために当該個人に与えられた一身専属的な権利であつて、他にこれを譲渡し得ないし、相続の対象ともなり得ないものとしている。この基本的な考え方は、正当であつて、異論のないところである。ただ、多数意見は、被保護者の保護受給権はもとよりのこと、被保護者の生存中の扶助ですでに遅滞にあるものの給付を求める権利も、すべて被保護者の最低限度の生活の需要を満たすことを目的とするものであることを理由として、当該被保護者の死亡によつて当然に消滅し、相続の対象とはなり得ず、また、後に述べる不当利得返還請求権も、保護受給権を前提としてはじめて成立するものであり、その保護受給権が一身専属の権利である以上、相続の対象とはなり得ないものとし、従つて、本件訴訟の承継の余地がないと断じている。しかし、多数意見のいうように被保護者の生存中の生活扶助料ですでに遅滞にあるものの給付を求める権利が保護受給権そのものと同様に使用目的の制限に服すべきものであるかどうかについては、全く疑問の余地がないというわけではない。仮りに、右の点について、多数意見のとおりに考えるべきものとしても、ただそれだけで、本件訴訟の承継を否定する根拠とはなし得ないと、私は考える。というのは、もともと本件訴訟は、厚生大臣の定めた生活扶助基準が違法に低額であると主張して、Aが同人の実兄Gから送金された月額1,500円(後に600円に減り、次いで全く跡絶えてしまつた。)より、保護の補足性に関する規定に基づき右基準に定める日用品費600円を控除し、残額900円を医療費の一部自己負担金とする旨の保護変更決定を是認した裁決の取消を求めるものであるから、本件で訴訟の承継の成否を決する契機として捉えるべきものは、生活保護法に基づく保護受給権そのものでないことはもちろん、すでに遅滞にあるものの給付の請求でもなく、本件保護変更決定によつて、医療費の一部自己負担金に繰り入れられた月額900円を限度として、そのうち右厚生大臣の定めた生活扶助基準金額と適正な生活扶助基準金額との差額に相当する部分に対する不当利得返還請求権であると解すべきであるからである。
右の点を本件事案に即してもう少し具体的に述べると、津山市福祉事務所長のした本件保護決定前に、Aは、生活扶助として毎月600円の支給を受ける権利と、医療扶助として無償で現物給付を受ける権利とを有していたところ、右所長の本件保護変更決定によつて、生活扶助月額600円の支給は打ち切られ、新たに医療扶助についても一部自己負担金として月額900円の支払義務が課せられるに至つた(もつとも、後に400円の軽費の措置がとられた。)。従つて、若し、本件裁決が取り消されることになれば、国は、生活扶助月額600円の支払を不当に免れ、また、医療費の一部自己負担金とされた月額900円を限度として、そのうち右厚生大臣の定めた生活扶助基準金額と適正な生活扶助基準金額との差額に相当する部分を法律上の原因なくして不当に利得したこととなる。もとより被保護者たるAが適正な生活扶助基準による保護そのものを直ちに請求する権利を有するものといえないことは後に述べるとおりであるが、本件裁決が取り消された場合には、厚生大臣は、憲法及び生活保護法の規定の趣旨に従つた適正な生活扶助基準を設定すべき拘束を受けることとなるのであるから、国は、同人に対して右の限度においてその利得を返還しなければならず、これをAの側からいえば、同人は、右の限度で不当利得返還請求権を有するものといわなければならないのである(もつとも、原判決の確定した事実関係のもとでは、右月額900円の全部がF療養所に現実に納入されて国庫の収入に帰属したかどうかは明らかでないが、若し納入されていない分があるとしても、Aは、その分につき納付債務の不存在確認を訴求し得たはずであるから、不当利得返還請求権の認められる場合とその理を異にするものではない。)。この国に対する不当利得返還請求権は、保護受給権そのものの主張でないことはもちろん、すでに遅滞にある生活保護の給付の請求そのものでもなく、元来、Aの自由に使用処分し得た金銭の返還請求権ともいうべきものであつて、このような権利についてまで、その譲渡性や相続性を否定すべき合理的根拠は見出しがたいのではないかと思う。
そして、若し、右のような意味での不当利得返還請求権が認められるべきものとすれば、この請求権を行使するためには、本件で取消訴訟の対象になつている裁決の取消がされることを当然の前提条件とするのであつて、右の権利を相続したD・同Eの両名は、本件裁決の取消によつて回復すべき法律上の利益を有するものと解するのが相当である。
もつとも、本件訴訟は、元来、右の不当利得返還請求を訴訟物とするものではなく、前記裁決の取消を求めるものであるが、一般に処分又は裁決の取消訴訟の目的は、処分又は裁決によつて相手方に生じた違法な侵害状態の排除によつて、その処分又は裁決のなされなかつたもとの状態を回復することにあると考えるべきであつて、行政事件訴訟法9条に、処分又は裁決の取消の訴の原告適格を定めるに当つて、「処分又は裁決の効果が期間の経過その他の理由によりなくなつた後においてもなお処分又は裁決の取消しによつて回復すべき法律上の利益を有する者を含む。」ことを明記したのも、本件のような事案について、原告適格を肯認する趣旨を明らかにしたものと解すべきである。当裁判所の大法廷判決(昭和37年(オ)第515号、同40年4月28日大法廷判決、民集19巻3号721頁)も、従来の判例を変更し、処分の取消によつて回復し得べき法律上の利益がある場合には、原告適格のあることを判示しているのである。
そして、訴訟の承継という制度を認める狙いは、本来、訴訟係属中に当事者の死亡、資格の喪失、訴訟物たる権利又は法律関係の譲渡等によつて当事者が訴訟追行権を失つた場合には、当該訴訟はその成立要件を欠くものとして却下を免れないわけであるが、訴訟物に関する争いそのものが客観的に落着していない場合において、その承継人より又は承継人に対しあらためて訴を提起させることは訴訟経済上妥当でないために、訴訟の実質的同一性を肯認し、その承継人をして在来の当事者に代つて訴訟を追行させようとするものである。従つて、本件におけるように、当該権利又は法律関係が在来の訴訟の訴訟物となつていない場合でも、相続人において将来その相続にかかる権利又は法律関係を訴求するために訴訟を継続していく利益が残存していると認められるときは、相続人をしてすでに形成された訴訟法律状態を承継させるべきものと解するのが相当である。
以上のような理由によつて、私は、本件訴訟はAの死亡と同時に、D・Eの両名によつて適法に承継されたものとみるべきであると考える。


三 右に述べたように、本件訴訟の承継を肯認すべきものと考えるので、次に、本案の内容について、判断を加えておくこととする。
まず、結論を述べると、私は、結局、本件上告は棄却を免れないと考える。
その理由の概略を述べると、次のとおりである。
(1) 上告代理人海野普吉外14名の上告理由第一点及び第二点(上告代理人海野普吉外17名名義の補充上告理由第一点を含む。)について。
おもうに、生活に困窮する要保護者又は被保護者が国から健康で文化的な最低限度の生活水準を維持するに足りる保護を受けるのは、もはや、かつてのように国の恩恵ないし社会政策の実施に伴う単なる反射的利益に止まるものではなく、法律上の権利であり、保護受給権ともいうべきものであつて、そのことが現行の生活保護法の画期的な特色をなしていることは、さきに説示したとおりである。問題は、この権利が何に由来し、どのような内容を有するものとみるべきかにある。
憲法25条1項は、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」と規定している。しかし、この規定は、すべての国民が健康で文化的な最低限度の生活を営み得るよう国政を運用すべきことを国の責務として宣言したものであつて、個々の国民に対して直接具体的な請求権としての権利を付与したものでないことは、つとに当裁判所の判例とするところである(昭和23年(れ)第205号、同年9月29日大法廷判決、刑集2巻10号1235頁)。従つて、具体的な権利は、右の憲法の規定の趣旨を実現するために制定された生活保護法によつてはじめて与えられるものと考えるべきである。ところで、生活保護法は、「この法律の定める要件」を満たす者は、「この法律による保護」を受けることができる旨を規定し(2条)、その保護は、厚生大臣の設定する基準に基づいて行なうものとしているのである(8条1項)から、同法は、厚生大臣が最低限度の生活水準を維持するに足りると認めて設定した保護基準による保護を受ける権利を保障したものであつて、生活保護法以前に客観的に確定し得べき最低生活水準の存在を前提し、これを維持するに足りるものを権利として保障したものではないと解すべきである。もつとも、厚生大臣の設定する保護基準は、法8条2項の定める事項を遵守したものであることを要し、結局は、憲法25条1項の趣旨に適合した健康で文化的な最低限度の生活を維持するに足りるものでなければならない。しかし、健康で文化的な最低限度の生活といつても、それは、元来、確定的・不変的な概念ではなく、抽象的な相対的概念であつて、その具体的な内容は、文化の発達、国民経済の進展に伴つて絶えず向上発展すべきものであり、多数の不確定的要素を総合考量してはじめて決定し得るのであつて、ある特定の時点における内容も算数的正確さをもつて適正に把握し決定するということは到底期待できない性質のものである。従つて、客観的・一義的に確定し得べき最低生活水準の存在を前提し、これを維持するに足りる権利を保障するというようなことは、憲法自体としてももともと予定するところではないというべきであるから、生活保護法が右のような水準を維持するに足りる適確な内容の権利を与えなかつたからといつて、直ちに憲法違反となるわけではないと、私は考える。
かような見地からいえば、何が健康で文化的な最低限度の生活であるかの認定判断は、いちおう、法の定める範囲内において、厚生大臣の合目的的かつ専門技術的な裁量に委ねられているとみるべきであつて、その判断の誤りは、当不当の問題として、政府の政治責任の問題が生ずることはあつても、直ちに違憲・違法の問題が生ずることのないのが通例である。ただ、現実の生活条件を無視して著しく低い基準を設定するなど、憲法及び生活保護法の趣旨・目的に違背し、法律によつて与えられた裁量権の限界を踰越し又は裁量権を濫用したような場合にはじめて違法な措置として司法審査の対象となることがあるにすぎないと解すべきである。生活保護法が不服申立の対象を「保護の決定及び実施に関する処分」に限定し(65条1項)、保護基準設定行為そのものについて触れていないのも、右の事情を示したものということができる。
もつとも、生活保護法8条2項には、「前項の基準は、要保護者の年齢別、性別、世帯構成別、所在地域別その他保護の種類に応じて必要な事情を考慮した最低限度の生活の需要を満たすに十分なものであつて、且つ、これをこえないものでなければならない。」と規定されているから、厚生大臣は、保護基準を設定するに当り、合理的な理論生計費算定方式を採用するなど、右の要請に応ずるように努めなければならないし、また、理論生計費算定方式を採用するに当つては、その基礎となるべき生活資料を確定しなければならないが、そもそも、健康で文化的な最低限度の生活という概念が、さきに述べたように、抽象的な相対的概念であつて、その具体的内容は、文化の発達、国民経済の進展に伴つて絶えず向上発展するものであり、多数の不確定的要素を総合考量してはじめて決定し得るものである以上、どのような内容・程度のものを健康で文化的な最低限度の生活費の算定資料とすべきかについては、所論のいわゆる生活外的要素をもあわせ勘案するのでなければ確定しがたいのであつて、保護基準の設定に当り、かような要素を勘案することをもつて直ちに違法と論難するのは当らない。
原判決は、保護基準設定行為は覊束裁量行為であるとしながら、何が健康で文化的な最低限度の生活であるかは厚生大臣の専門技術的な裁量に委されているといい、従つて、その判断の誤りは、法の趣旨・目的を逸脱しない限り、当不当の問題にすぎないと判示している。従来の一般の考え方によれば、覊束裁量行為については、その判断の誤りは、単に当不当の問題に止まらず、適法違法の法律判断の問題として、司法審査に服すべきものと解されている。こういう普通の見解からいえば、原判決の用語は、必ずしも妥当とはいえない。しかし、原判決の真意は、生活保護法に保護基準に関する定めがあつても、それは決して行政庁に全然裁量の余地を認めない趣旨ではなく、厚生大臣の専門技術的な裁量の余地を認める趣旨であることを判示するにあるものと解し得るのであつて、その限りにおいて、原判決の結論は是認されるべきものである。また、原判決が本件保護基準の適否を判断するに当つて考慮したいわゆる生活外的要素というのは、当時の国民所得ないしその反映である国の財政状態、国民の一般的生活水準及び都市と農村における生活の格差、低所得者の生活程度とこの層に属する者の全人口中に占める割合、生活保護を受けている者の生活が保護を受けていない多数貧困者の生活より優遇されているのは不当であるとの国民感情の存在及び予算配分の事情などである(殊に、原判決は、予算については、厚生大臣が、社会保障費として一定の必要額を認めながら、予算不足の故をもつてことさら必要以下に低減したというのではなく、社会保障費と他の各種財政支出との均衡を保たせる限度において予算上の措置を配慮したのは相当であるとしているにすぎない。)。このような諸要素の考慮は、保護基準の設定に当り、厚生大臣の裁量に委されているとみるべきであつて、その判断については、法の趣旨・目的を逸脱しない限り、違法の問題を生ずることはないと解すべきである。原判決が保護基準設定行為を覊束裁量行為と説示しながら、以上の諸要素を本件保護基準の適否制定の資料としたことは、表現の不適切の嫌いはあつても、かような瑕疵は、判決の結果に影響を及ぼすものではないといわなければならない。従つて、論旨は、結局、理由がないこととなり、排斥を免れない。


(2)同第三点及び第五点(同補充上告理由第二点を含む。)について。
厚生大臣が本件生活扶助基準金額算定の方式としていわゆるマーケツト・バスケツト方式を採用したのは合理的でなかつたとはいえないとした原審の判断は、原判決挙示の証拠に照らし、首肯し得ないわけではなく、また、原判決は、この方式による本件生活扶助基準額算定の過程及びその金額の当否について、必要な限度で、判断を加えているものということができるのであつて、原判決には、所論の法令違背の違法はなく、論旨は、これと相容れない見解に立脚するか、原判示にそわない事実に基づいてその違法をいうものであり、違憲の主張も、その実質は、原判決の法令違背の主張にすぎず、採るを得ない。
次に、本件生活扶助基準額は直ちに違法といい得るほど低額とはいえないとした原審の判断の違法・違憲をいう点について、本件事案に即しつつ、やや具体的に私の考えを述べておきたい。
本件生活扶助基準は、昭和28年7月に設定されたものであり、本件保護変更決定が行なわれた昭和31年8月頃には、物価謄貴等によつて、かなり事情が変つてきていたこと、従つてその8ケ月後の32年4月には右基準の改訂が行なわれていることに思いを致すと、31年8月には、その扶助基準額が低きにすぎるものであつたことは卒直にこれを認めざるを得ない。しかし、そのことだけで、直ちに生活扶助基準の違法・違憲を根拠づけるものとはいい得ないのではないかと、私は考える。
そもそも、生活保護法によつて保障される最低限度の生活というのは、人間としての生存を維持するに足りる最低の生活ではなく、健康で文化的な生活水準を維持するに足りるものであることを必要とし(3条参照)、保護の内容、要保護者個人又はその世帯の実際の必要を考慮して、有効かつ適切に決定されなければならない(9条参照)が、同時にそれは、最低限度の生活の需要を満たすに十分なものであつて、かつ、これをこえてはならないという制約を受けている(8条2項)。従つて、生活保護法によつて保障される保護の程度は、社会生活において近隣の者に対し見劣りや引け目を感じさせない程度の生活を営み得るまでに潤沢なものではあり得ず、殊に本件のような入院入所中の保護患者については、長期療養という特殊の生活事情や医療目的からくる一定の制約のあることにも留意しなければならない。この場合、日用品費の額の多少が病気治療の効果と無関係でなく、その額の不足は、たとえ僅少であつても、患者に対し看過しがたい影響を及ぼす場合のあることも否定し得ない。しかし、患者の最低限度の需要を満たす手段として、生活保護法は、その需要に即応するとともに保護実施の適正を期する見地から、保護の種類及び範囲を定めて、これを単給又は併給することとし、入院入所中の保護患者については、生活扶助のほかに、給食を含む医療扶助の制度を設けており、また、別に生業扶助の制度も設けているのである。従つて、単に治療効果を促進し、現行医療制度や看護制度の欠陥を補うために必要であるとか、退院退所後の生活を容易にするために必要であるという理由で、それに要する費用まで日用品費と断定し、生活扶助基準にかような費用を計上していないからといつて、直ちにこれを違法ということはできない。また、いわゆる補食費についても、保護患者に対する給食が治療の一環として行なわれる建前になつている以上、それは、生活扶助(日用品費)の問題ではなく、医療扶助の問題であつて、いわゆる補食費を金銭的給付という形で生活扶助基準に計上すべきであるとの所論も、にわかに承服しがたい。
また、本件生活扶助基準にいう患者の日用品に対する一般抽象的な需要測定の尺度が具体的に妥当なものであるかどうかについては、日用品の消費量が各人の節約の程度、当該日用品の品質等によつて異なるのはもとより、重症患者と中・軽症患者とではその必要とする費用が異なり、特定の患者にとつては、ある程度に相互流用の可能性のあることも考えられるので、単に本件基準の各費目・数量・単価を個別的に考察するだけではなく、その全体を統一的に把握する必要がある。また、入院入所中の患者の日用品であつても、経常的に必要なものと臨時例外的に必要なものとの別があり、臨時例外的に必要なものを一般基準に組み入れるか、特別基準ないしは一時支給又は貸与の制度に譲るかは、厚生大臣の定めるところに委ねるほかはなく、たとえ、一時支給の制度が完全・円滑に実施されがたい実情にあるとしても、それは、当該制度の運用上の当不当の問題にすぎないのであつて、それだけを理由として、臨時例外的に必要な費目を一般基準に計上すべき理由とはなしがたい。従つて、一般基準たる本件生活扶助基準の当否は、特別基準等に組み入れるべき日用品を除外し、専ら経常的な日用品のみを対象として決定するほかはないというべきである。
以上のことを念頭において検討すれば、原判決の確定した事実関係のもとにおいては、本件生活扶助基準がその設定当時入院入所中の患者の最低限度の日用品費を支弁するに足りるとした厚生大臣の認定判断に、その裁量権の限界を踰越したとか、その裁量権を濫用した違法があるものとは断定することができない。もつとも、さきに指摘したように、右基準は、本件保護変更決定の行なわれた昭和31年8月から僅か8ケ月を出ない昭和32年4月に改訂されたこと、同改訂による新生活扶助基準と本件生活扶助基準とを比較対照すれば、新基準に新たな費目のとりいれられたものがあり、また、両基準に共通な費目であつても、数量の増加、単価の引上げの認められたもののあることが明らかである。しかし、保護基準は、さきにも指摘したように、文化の発達、国民経済の進展等に伴い、絶えず向上発展すべきものであるから、右の新生活扶助基準の内容を論拠として、それより3年余も前に設定された本件生活扶助基準が厚生大臣の恣意に基づくものと断定するのは相当でない。
ところで、原判決の確定した事実によれば、わが国の国民経済は、本件生活扶助基準が設定された昭和28年7月から翌29年末までは、さほど顕著な変動を示さなかつたが、昭和30年度において急激に発展し、昭和31年度、特にその下半期においては、一般の予想を上廻る成長を遂げ、これに伴い、国税の自然増収もにわかに増加し、また、消費生活の向上、物価の謄貴をきたしたというのである。従つて、本件生活扶助基準額は、昭和31年8月当時、すでに右景気の上昇に伴い、最低生活の実態に即さないものとなつていて、早晩改訂されるべき段階にあつたものと推認される。しかし、その実態に即さない程度が、入院入所中の患者に対する
生活保護の実をあげ得ないほどでなかつたことは、原判決の正当に確定するところである。しかも、このような基準の改訂には、その調査研究等のために相当の日時を必要とし、また、景気変動の結果も、翌年度にならなければ適確には把握しがたいよう事情にあること等にかんがみると、ある時点において設定した保護基準をその後における生活の実態に絶えず即応せしめるということは、実際には至難の業であつて、右に指摘した程度における基準と生活の実態との乖離は、およそ基準の設定ということが合理的な措置として承認されるべきである以上、避けがたい必要悪として、法自身の認容するところといわなければならないであろう。
以上説示したように、本件生活扶助基準の設定そのものは、いちおうマーケツト・バスケツト方式という理論生計費算定方式に従つた、不合理とはいえないものであり、また、右基準と生活の実態との乖離が前述のような程度のものである以上、マーケツト・バスケツト方式そのものに必ずしも欠陥がないとはいえないことや、日用品費の不足がたとえ僅少であつても、患者に対し看過しがたい影響を及ぼす場合のあること等を考慮に入れてもなお、本件生活扶助基準で定められた月額600円という経常的な日用品費の金額は低きに失する嫌いがあるとはいえ、それは、行政措置によつて是正されるべき不当の問題であるに止まり、司法救済に値いする違法があるものと断ずるに足りないとした原判決の結論は、是認するほかはない。従つて、原判決に所論憲法及び法令の解釈適用を誤つた違法があるものとはいいがたく、その判断の過程にも、所論法令違背の違法を見出しがたい。論旨は、結局、右と相容れない見解に立脚して原判決の違法をいうか、原審の専権に属する証拠の取捨選択、事実の認定を非難するものであつて、採用できない。


(3)同第四点について。
原判決は、本件生活扶助基準が中・軽症患者の需要を主眼として設定されたものであるが、重症患者の補食を除くその他の特殊の需要をまかない得ないものではなかつたこと、Aについても、同人は本件保護変更決定の行なわれた昭和31年8月当時、両側混合性肺結核におかされた安静度二度の重症患者である、栄養不足に陥つていて、発汗のため着換え用衣類を余分に必要とし、特に寝巻には不自由をし、日用品一般についても、かなり窮屈を忍ばなければならない状態にあつたが、寝巻については、一時支給ないし貸与の制度があり、現に貸与を受けていた病衣が厚地のため寝巻としては必ずしも適当なものとはいえなかつたとしても、病床で着用できないほどのものではなかつたこと、その他の臨時例外的な日用品についても、昭和30年6月から昭和33年5月までの間、同人には特別支出の見るべきものがなかつたことを認定している。そして、原審の右事実認定は、その挙示の証拠に照合すれば首肯できないわけではなく、その判断の過程にも所論の違法があるものとは認められない。また、重症患者に対する補食費に関する所論は、さきに説示した理由により採用しがたいといわなければならない。
なお、原判決は、F療養所においては本件保護変更決定後Aに対しその医療費一部自己負担金900円のうち400円の限度で日用品費及び嗜好品費の必要を理由として療養費軽費の措置をとつたこと、同人の昭和30年7月から昭和33年5月までの3年間における日用品費の支出額は、右軽費の措置や臨時の収入があつたために平均月額1,040円48銭に及んでいたこと、また、同人は本件保護変更決定に対する不服申立の事由として、重症に陥つているため嗜好品的栄養の補食費として月額400円を日用品費の追加分として認めてほしい旨のみを主張し、日用品費自体については格別不足を訴えていなかつたことを認定し、これら認定事実を判断の資料に加えていることは判文上明らかである。所論は、この点の違法をも攻撃しているが、軽費の措置に関する原判示は、傍論の域を出ず、右不服申立の事由も単なる事情にすぎないものであつて、原判決の判断を左右し得るものではない。原判決の結論は相当であつて、所論憲法及び法令の違反はなく、論旨は採用できない。


四 以上述べてきたように、本件生活扶助基準や本件保護変更決定を直ちに違憲又は違法とし、これを無効又は違法と断ずることはできず、結局、上告は排斥を免れない。法律論としては、右のように解するほかはないし、生活保護法による扶助の制度がきわめて多数の要保護者や被保護者を対象とする以上、一定の「生活扶助基準」を設定し、これによつて扶助をしていくほかはなく、この「生活扶助基準」の改訂に当つては、その調査研究のために相当の日時を要することも否めないのであるが、憲法25条の精神を徹底する趣旨からいえば、政府当局としては、常時右の調査研究を怠ることなく、もつと適切かつ迅速に、生活の実態に即するようになお一段の配慮を加えるべきであるし、また、生活扶助基準の制度が必要避けることのできない制度であるとしても、具体的な事情に即応して、生活の実態との間に乖離をきたさないために、一層適切妥当な措置を迅速に講じ得るような裁量の余地を認めるものであることが望ましい。生活保護の制度は、単に恩恵的な制度でなく、権利として、これを保障したものであることはさきに述べたとおりであるが、権利であるということから、却つて、この制度の現実の運用に当る者の暖い思いやりが失われるに至るようなことがあつては、制度の本来の趣旨・目的が達せられないこととなるであろう。本件においては、結局、原告の敗訴を免れないが、いちおう、勝訴した国側も、その措置が妥当であつたとして支持されたわけではなく、ただ、その措置が違憲・違法とまではいえないと判断されたにすぎない点に深く思いを致し、この事件を契機として、生活保護制度のより適切な運用について、政府当局並びに関係者のすべてが、真剣に反省し、国民の強い要請に応え得るような対策を考慮するよう希望してやまない。




裁判官松田二郎、同岩田誠の本件訴訟承継の点に関する反対意見は、次のとおりである。
生活保護法の規定に基づき要保護者又は被保護者が国から生活保護を受けるのは、単なる国の恩恵ないし社会政策の実施に伴う反射的利益でなく、保護受給権ともいうべき権利であること、およびその権利が譲渡、相続し得ない一身専属権であることは、多数意見のいうとおりである。しかし、右保護受給権が一身専属的であるということは、本件訴訟において承継を否定する根拠となるものではない。
本件において津山市福祉事務所長のした保護変更決定前、Aは、生活扶助として毎月600円の支給を受ける権利と医療扶助として無償にて現物給付を受ける権利を有していたところ、右所長の変更決定によつて生活扶助月額600円の支給は廃され、また新たに医療扶助については自己負担金として毎月900円の支払を課せられるに至つたのである。従つて、若し本件裁決が取り消されることがあれば、保護受給権が右に述べたごとく権利である以上、国は本来義務として負担すべき医療扶助の給付をしないため、同人をして支払うことを要しない自己負担金を支払わしめるに至つたのであるから、右変更決定以降同人が自己負担金として国に支払つた
限度において、国はこれによつて法律上の原因なくして不当に利得したこととなる。すなわち、国は同人に対して、右の限度においてその利得を返還することを要することとなるのである。これを、Aの側よりいえば、同人は本件裁決の取消を条件とする不当利得返還請求権を国に対して有し得ることとなる。従つて、この条件付権利は、不当利得返還請求を内容とするものである以上、同人の有する保護受給権とは別個のものであつて、すなわちその性質はこれと異り一身専属的のものではなく、相続性を有するものというべきである。このように考えてくると、Aの死亡によりこの条件付権利は、D、Eの二人の相続人によつて相続されたものというべきであるから、Aは既に死亡し、また本件訴訟は不当利得返還請求を訴訟物とするものではないが、D、Eの両名は「本件裁決の取消によつて回復すべき法律上の利益」(行政事件訴訟法9条参照)を有するものと解するのを相当とする。けだし、もしこれを否定するときは、右両名は将来国に対して不当利得返還請求をなし得べき途を全く鎖されてしまうからである。
要するに、私たちは叙上の理由により、本件訴訟の承継を認めるものであり、承継を否定する多数意見に反対するものである。(多数意見が本件訴訟は上告人Aの死亡によつて終了したものと認めた以上、多数意見即ち当裁判所の判断としては、本件訴訟は既に終了したものとされたのである。このことは当裁判所としては、本案の上告理由にまで立入つて判断しないことを表明したものに外ならない。そしておよそ評議の対象となつている論点について評決がなされるまでは、それに関与した各裁判官はその信ずるところに従つてその意見を述べ得、また意見を述べなければならないけれども、一旦評決がなされたときは、すべての裁判官はこの評決の結果に服すべきことは当然である。従つて、上告人の死亡による本件訴訟終了の点につき、反対意見を有した私たちも、本件訴訟が既に終了したものと認めざるを得ない以上、その訴訟が未だ終了していないことを前提として本案の上告理由にまで立入つて意見を述べるということはなすべきことでないのである。そしてたとえ上告理由について意見を述べたとしても、本件訴訟が既に終了したとされた以上、その意見なるものは、法律的には意味を有し得ないものである。私たちが敢て本件の上告理由について意見を述べないのは、このために外ならない。)




裁判官草鹿浅之介は、裁判官松田二郎、同岩田誠の右反対意見に同調する。
     最高裁判所大法廷
            裁判官    入   江   俊   郎
            裁判官    奥   野   健   一
            裁判官    草   鹿   浅 之 介
            裁判官    長   部   謹   吾
            裁判官    城   戸   芳   彦
            裁判官    石   田   和   外
            裁判官    柏   原   語   六
            裁判官    田   中   二   郎
            裁判官    松   田   二   郎
            裁判官    岩   田       誠
            裁判官    下   村   三   郎
裁判長裁判官横田喜三郎、裁判官五鬼上堅磐は、退官のため署名押印することができない。
            裁判官    入   江   俊   郎