Doug Liman監督『Jumper』 (邦題:ジャンパー)

この映画が絶望的につまらない理由は、まあ100個くらいありそうだが、大きなものとしてとりあえず2つ指摘できる。
1つは、テレポートというのは、超能力の中でも、最も映画に向かないものの一つだということ。ある時点である場所にいた人物が、次の瞬間にはまったく別の場所に現れる。これがテレポートだが、映画の言葉に翻訳すると、あるカットである場所にいた人物が、次のカットではまったく別の場所に現れる――と、これは、映画の編集におけるごくごく通常の表現なのだ。映画では(というか、おそらく舞台演劇を含めたすべての表現において)テレポートは普通に行われている。違いは、それを「テレポートという超能力だ」と明言するかしないかだけである。
この映画では、もちろんそれが明言されているわけだが、あとはそれをどのような演出で超能力っぽく見せているかである。これがきわめてしょぼい。ドーンと音がして、カメラが揺れて、役者がよろめくところからカットがスタートする・・・それだけ。そんなのさあ、お笑いのコント番組でもやってるよねえ。もちろんCGIでなんか時空のひずみみたいなのが描いてはあるんだけどね。
つまらないもう1つの理由は、能力を身につけてからドラマが本格的に始まるまで、8年間も無為に経過させたことだ。ある意味、「8年後・・・」という、いわばタイムスリップである(もちろんこれも映画における通常の文法だが)。
超能力モノというのは、能力を身につけたところから始まって、主人公が増長し、能力を濫用し、大事になり、反省し、能力に依存したのではないような形での勇気を見せ、事件を解決し、能力を自分の制御下におく(あるいは失う)、というのが鉄板のプロットである。基本は、能力獲得からある程度幅の狭いタイムスパンで話が完結するようになっていなければならない。ところがこの映画では、そこを一気にすっ飛ばしてしまうのである。
なんとこの主人公は、8年もの間、能力を濫用して、銀行の金庫から現金盗みまくり、世界中の女をナンパしてヤリ逃げしまくりの毎日である。それで、ある日、殺し屋が来たからびっくりして戦うという、それだけの話なのだ。もちろん、8年間の悪行に対する反省も何もない。今後悪行を繰り返さない人間になったという雰囲気すらない。観てても感情移入が致命的にできないつくりになってしまっている。
あとまあ、Paladinという、Jumper抹殺集団が出てくるわけだが、この人たちの動機が、超能力を人が持つなんて神様的に許せない、というなんともはやとってつけたような理由で、もうええわという感じ。
なんと(無謀にも)三部作になるそうなので、続編ではぜひ、肩にハエがとまったままテレポートしてしまい、ヒトとハエのDNAが混ざってしまって、剛毛が生えてきたり、無駄に体力(精力)がありあまったり、天井を這い回ったり、口から消化液を吐いて食べ物を溶かして啜ったりしてほしいなあ。