Peter Berg監督『Hancock』 (邦題:ハンコック)

ウルトラマンとかを観るときの常套句として、毎週街を壊しすぎ、というのがあるが、常人と同じスケールであっても、例えば空を飛ぶというときに、離陸後ただちに高速になるのであれば、相当の力が反作用として地面にかかっているはずだし、着陸のときも同じである。この映画は、それを映画内リアリティとして描く、というアイデア一本で作られているのだが、作り手が真面目に考えていないので支離滅裂で糞つまらない駄作になっている。
Will Smithが演じる超人Hancockは、もちろん空を飛べるのだが、離陸・着陸のときにつねにアスファルトを破壊する。悪人をつかまえたり、人助けをするのに、車や列車も破壊する。そのためにみんなに嫌われている。なるほど、本当に超人がいたらそうなるかもな、とは思わされる。そして観客としては、リアリティの水準がそのくらいのところに設定されているという気持ちで続きを観る。
ところが、このリアリティ水準は、その後まったく維持されない。
Hancockは、知り合ったPRの専門家の助言を受けて、裁判所の出頭要請に応じて刑務所に入る。刑務所に入れば、娑婆の犯罪率が増加し、Hancockの抑止力=ありがたみを人々が認識して、ヒーローになれるはず、という寸法だ。抑止力として作用しているということは、悪人たちがみんな、Hancockの強さを知っているということのはずだ。というか、Hancockの存在と、その力と、その迷惑さについては、街中の人間が知っているし、毎日のようにTVで報じられている。
さて、刑務所に入ったHancockだが、映画の登場人物が刑務所に入ると必ず起こることがやはり起こる。つまり、囚人の中のごつい奴が、嫌がらせ的に立ちはだかるのだ。結局こいつは、(とりわけ肛門のあたりが)悲惨な目に合うことになるのだが、そもそも超人であるHancockにどうして勝てると思って因縁つけたのか、さっぱりわからない。誰もが彼の力を知っている、という前提に反している。
後半には、また別のやつがHancockを銃で襲う。その時点ではある理由からHancockは力を失っていて、致命傷に近いダメージを負ってしまうのだが、悪者の方はそれを知らないはずであり、かつ彼に銃なんか全然効かないことは誰もが知っていることなのだ。なんでそれで勝てると思ったのか。
さて、上述のPR専門家の妻が、実はHancockと同じ超人で不老不死だったということが、後半明らかになる。しかも、80年前まで夫婦だったと。で、この超人たちは、超人同士で一緒にいると超人力が消えてしまって普通の人になり、普通に死んでしまう(だから、超人たちはこの二人以外みんな死に絶えている)。この二人の場合、夫婦のときに妻の方が襲われ、Hancockが身を挺して助け、しかし死なないように妻が去る(去れば不死に戻る)というサイクルが、紀元前から繰り返されているのだそうだ。
さて、よくわからないのは、その理屈で行くなら、傷が回復するまで一時的に離れて暮らし、回復した時点でまた戻ればいいだけなのではないかと思うが如何。実際、終盤で致命傷を負ったHancockは、この元妻から数分間、数十メートル離れただけで完全に回復している。
この妻の方は、現在の夫を選ぶのだが、この理由もよくわからない。不老不死なので、夫が老い、子供(これは夫の連れ子)が成長しても、妻の方は年を取らないわけだが、本当にその人生を選んだのか。で、この夫が死んだらまたHancockとくっつくつもりなのか、そうだとしたらそれってどうなの、的な、なんか考えてない感いっぱいの脚本なのである。
さて、いろいろ書いたが、この映画が駄目なのは、脚本の馬鹿さ加減だけによるものではない。カメラワークというのか、演出があまりにもひどいのだ。会話のシーンが、ほとんど、登場人物のどアップのみ。これはほんとに暑苦しい。とりあえずアップにして顔の演技してもらえば気持ち通じるよね、という素人みたいな発想である。途中で、アップのシーンが何分あるのかはかりたくなったくらい。
あとコスチュームが地味すぎて全然ヒーローっぽくないというのもあるなあ。バットマンとかアイアンマンとかがいるところで、この人の活躍をあえて観たいという気が全然起こらない。ほんと駄作。