富野由悠季監督『機動戦士ガンダムF91』

もはや森口博子を紅白に送り出したことでしか記憶されていないガンダム(というのは嘘だが)。ものまね番組で頑張っている森口がついに念願成就したということで感動したなあ。当時、ウルトラマンでもガンダムでも、デフォルメされたキャラクターが全盛で、2頭身でないリアルな造形のアニメや特撮が好きな人間はオタク扱いされて肩身の狭い思いをしていたものだ(当時の「オタク」はほとんど変態扱い)。
中学生の私はガノタの友人の家でVHSで観たのだが、今回改めてちゃんと観てみたところ、これはやっぱ駄目映画だなあと思った。こういうのを富野的というのかもしれないが、あまりにも説明不足。F91は、肩から羽根みたいなの(放熱板)出てるし、背中にレールガンついてるし、「口」から熱い息を吐くし、分身の術まで使えるのだが、これらの説明がほとんどない。「八掛け開いて吊り橋になる」という暗号を、開発者の娘(主人公の妹)が解く、という、マシンのギミック的にはどうでもいい挿話はあるが(これについても、なんでマニュアルで暗号的なことを言わないかんのか不明)。前半でギミックの説明がちょっとでもあれば、クライマックスで使われたときに「キタ━(゚∀゚)━!!!!!」ってなるのに。
観念的な部分についても、何の工夫も感じられない。単なる、愚昧な民主主義に対して高貴な貴族主義を対置しているだけの子供騙しというか厨二病。主題になっている家族の問題についても、情けない大人に対するやはり厨二病的嫌悪感が描かれているだけ。
子供騙しといえば、「バグ」という大量殺人兵器が出てくるが、これがもうほんとに子供騙し。超電磁ヨーヨーみたいなやつが飛んで行って人間を見つけては切り刻むという。なんだそれ。というか、どうやって浮いてんだ。ここは是非、「無感情に皆殺しができる兵器」というのを、それなりのリアリティで考案してほしかった。無人なら何でもいいのかよという安易。
アンナマリーが寝返るところとかも、なんかどっか(『Z』とか)で観たようなプロットだし、最後、宇宙を漂流するヒロインを、主人公が「感じて」助けにいくところとかも、完全に自己模倣だよなあ。
要するに、新しいガンダムを作ろうとした富野監督自身が、いかにガンダムという観念の「重力に魂を縛られ」ていたかを無残に示してしまった作品だと思う。