Clint Eastwood監督『Invictus』(邦題:インビクタス/負けざる者たち)

渋谷シネパレスというところに初めて行った。狭い。小さい。音もちっちゃくない? 大して入ってなかったので、途中からでも前方に移動すればよかった。
さて、前評判が(なんか雰囲気的に)高かったので、すごく期待して行ったのだが、完全に期待はずれ。駄作でしょこれ。
話は、1990年、Nelson Mandelaが釈放されるところから始まる。時は移って1994年、南ア初の黒人大統領に就任。翌1995年、南アが開催国になったラグビーW杯で、初出場初優勝を果たすところまでを描く。
圧倒的に描かれているのは、Mandela大統領の、揺るぎない信念と戦略的確信である。これはMorgan Freemanの適役である。しかし、Freemanが主役だと面白くないという問題がある。だって、最初から最後まで「確信」している主人公に、魅力なんか感じないもの。だから、本作は、「赦し」を政治的戦略として用いた人の話ではあるが、「赦し」を描いた話ではない。「赦し」が描かれているならば、最初は赦していない、あるいは、本当は赦していない、そんな描写があって、何らかの契機で真の赦しへと移行する、という流れがないといけないが、それはまったくない。そういう種類の感動を期待するとがっかりする。
では政治映画なのかというと、そうでもない。政治映画であるためには、民族間、人種間の対立などが深刻化し、社会の秩序が乱れているところに、有能な指導者が適切な政策をとることで、秩序が回復するという流れがないといけないが、描かれている対立といえば、高々、黒人はサッカー、白人はラグビーをしているというくらいのことである。なんだ、アパルトヘイトとか言ってもたいしたことないね、と思ってしまう。
いやそうじゃなくてスポーツ映画でしょ、ラグビーの・・・というと、そうでもない。南アの代表チームSpringboksは、最初は弱小チームである。それが翌年にW杯で優勝する。もちろんそこには、技術的、精神的な成長があるわけで、その成長物語であるべきだとも思える。しかしそうなっていない。
まず、ラグビーのルール、得点の相場、どういうチームが「強い」のか、といったことが、結局最後までよくわからなかった。ニュージーランド代表が強いのはマオリの戦士の踊りハカがあるからだ、みたいな感じになってる気がするし。少なくとも技術的な面で、どういうふうに弱かった南ア代表が、どういう改善を経てどのくらい強くなったのかはさっぱり不明である。
精神的な面も、結局最後に優勝したあとのインタヴューで、Matt Damon扮するPienaarが、「4200万人の応援のおかげ」みたいなことを言うわけだが、そしてここには、黒人と白人が一体になった「南ア国民」という統一体の誕生が象徴されているわけだが、まあPienaarは大統領と面談してシンクロしたのかもしれないが、他の選手たちは握手したくらいである。大統領の提案で、練習の合間をぬって黒人地区の子供たちにラグビーを教えに行ったりというイヴェントはしていて、あと、大統領が27年間も収監されていたロベン島の監獄に見学に行ったりもしていて、これらが何らかの良い効果をもたらしているのであろうとは思うが、これも示唆されてる程度で、選手たちの内面でどういう化学反応があったのかはわからないままだ。
このように、結局、なんか雰囲気的に、ナショナリズムいいよね、というだけの映画になってしまっている。その先への思考の道筋がないために、後進国がようやく俺たち国民国家の仲間入りできたんだな、よかったよかった、という上から目線の感慨しか抱けない。
あ、あと、なんか飛行機の機長が、「ここからは私の責任だ」とか言ってスタジアムに超接近、9/11を思い起こさせて、すわテロかとビビらせる演出は、正直言って最低だと思った。実は飛行機の腹に「頑張れ」とかなんとか書いてある、というオチなのだが、まああれだ、こういう不要な演出が入ってしまうくらい、要するに作品のテーマがはっきりしていないということなのだろう。