Christopher Nolan監督『The Dark Knight』(邦題:ダークナイト)

ダークナイト [Blu-ray]

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Jokerを演じたHeath Ledgerが絶賛されているこの作品だが、実のところ評価されているのはJokerだけであり、そしてこの作品の主題構造上、Jokerだけが評価されるというのはありえないのであって、つまりはLedgerに対する絶賛は、直後に若死にしたということに起因する部分がかなりだと思う。
Jokerは、手を変え品を変えて、人に悪を行わせようとする。一番大掛かりなのは終盤のフェリーの箇所だ。一般市民の乗ったフェリーと囚人の乗ったフェリーのそれぞれに大量の爆薬を仕掛け、双方に、もう一方のフェリーを爆破する起爆装置を渡す。相手がスイッチを押さないうちに自分が押せば、相手は死んで自分は助かるというわけだ。まあこういう仕掛けを、Jokerはいろいろとやる。
さて、この主題構造において、Jokerの狂気が最も炸裂するのは、そのような倫理と利己のディレンマに立たされた普通の人間が、まさにその状況によって正気と狂気の境をさまようシーンにおいてだろう。ところが、全編を通じて、この映画には「正しい」人しか出てこない。囚人の一人など、おもむろに立ち上がると、スイッチを持っていた警官に歩み寄り、「そいつを貸せ。あんたが10分前にやるべきだったことを俺が代わりにやってやる」とかいって、スイッチを窓から捨ててしまうのだ。お前はそれでも最悪都市Gotham Cityの犯罪者か!
ことほどさように、Jokerの目論見は、最終的に人間の倫理によって打倒されるというよりは、最初からまったく成功していない。フェリーの仕掛けの小規模版が中盤にあって、それによってBatmanの元カノが死に、今カレは顔の半分が焼けて、Two Faceという奇形になるのだが、ここでも、二人ともエゴイズムの欠片も見せないのだ。Two FaceはあとでJokerにそそのかされて、彼女の仇討ちで警官殺しに走るのだが、だってそれ仇討ちだからねえ。通常の倫理の範囲内だろう。Jokerの企みが、劇中人物たちの倫理観を揺るがすことがない以上、観ている我々の倫理観だって揺るぐことはないのであって、それはつまり、別にJokerに特段の狂気を感じることもないということであり、それはつまり、Jokerの狂気を演じきったとされているLedgerの評価が、真実味を欠いた過剰評価だということを意味している。
そもそもレイティング回避なのだろうが、暴力描写があまりにも少ない。血とか流れてないんじゃないかなあ。たとえば、Jokerは、なんかヤクザの事務所みたいなところで、親分みたいな奴の口にナイフを突っ込んだまま、自分の口裂けの原因をしゃべりだす。この原因話は、するたびに内容が違うのでそれは面白いのだが、もちろん観客は、その物語の中でJokerが口を裂かれるのと同じタイミングで、親分の口も裂かれちゃうんだろうと思って観ている。ところが、なんと、急にカットが切り替わってそのシーンは背後から小さくうかがい知れるだけなのだ。血は一滴も出ないし、もっとおかしなことに、その親分は口を裂かれただけでバタンと倒れて死んでしまうのだ。なんぞそれ。
暴力をまったく描かずに狂気を表現することは可能だろうが、暴力をお粗末に描いて狂気を表現することは不可能だ。あとLauという中国人は、燃える札束の山の上で焼き殺され・・・ているはずなのだが、その描写がまったくなくて、どうなったのか不明である。結局、お子様もどうぞという映画に、到底お子様向けではないテーマを入れようとしたのが間違いの元なんだろう。
他方で、Two Face状態になってしまったDentは、顔の半分が焼けただれている・・・というよりむしろ焼け落ちていて、眼球とか筋肉とか奥歯とか露出しているにもかかわらず、なんとガーゼみたいなのをかぶせられているだけであり、自分でそれを剥がしたあとは、露出しっぱなしである。Gotham Cityで最も恐ろしいのは、凶悪犯罪や警官の腐敗ではなくて、医療ネグレクトじゃないかと思う。Jokerに爆弾仕掛けられて全員避難しているのにDentだけ置いてけぼりだし。
それから、Batman、すなわちBruce Wayneは、今でも愛している元カノが爆殺されたのに、たいして悲しんでいるように見えない。そのために、そのRachelが生前預けておいた手紙の内容も、それを読んだ執事のAlfredがBruceに渡さずに焼き捨てるシーンも、特に感慨をもたらさない。メリハリなく全編を通じて行われるカットバックも含めて、要するに監督が下手ということなのだろう。
音響はよかった。実に不気味な雰囲気を盛り上げてくれる。ただそれによって高まったテンションに、画面がついていっていないのがアレだが。