2月5日(金)の日記

  • 朝9時から17時過ぎまで、卒論発表会。今回も最初に全員にコメントするというミッションをクリアした。構想発表、中間発表と較べると、すでに論文が完成しているためにコメントはしやすい。主に、このレジュメの書き方だとこの辺がよくわからんが、実際にはどんな感じで書いたんですか、と訊けばよいので。

  • 多くの人に共通して見られる欠点は、文脈の説明(問題意識)、先行研究の説明、対象の説明、結論の説明は、ある程度書いているのに対して、対象から結論にいたるまでのステップ、つまり「分析」について、「分析した」としか書いてないことだ。論文においては、どういうことを知るためにどういう方法を用いたのか、というポイントこそが工夫のしどころであり、つまりは論文の本質である。結論なんか別に間違っていてもいいのだ(間違っているなら直せばいいだけだし)。

  • 社会学のような、ノイズ満載の対象を扱う学問においては、たとえば人に話を「聞く」、記事かなんかを集めて「読む」、映像などを「観る」、といったことだけでは、それがいったいどういう「分析」なのかが不明である。他方で、学生たちは聞いたり読んだり観たりした結果、何らかの結論を導いているわけで、不明ではあるが、何らか特定の分析方法を用いているはずである。

  • 対象ごとに、また問いの種類ごとに、用いるべき分析方法というのはある程度パッケージ化されているのであり、研究開始にあたってどのような方法を用いるのかが決まっている方が望ましいのは当然だが、卒論の場合、その準備ができないままで研究に乗り出さざるを得ないのは仕方がない。なのでそこは問わないが、論文を執筆する段階において、「この対象からこの結論が導かれた、ということは、いったい自分はどういう分析方法を採用したことになるのか」を反省して、嘘でもいいから(というと言い過ぎかもしれないが)それっぽく書くべきである。

  • それは、論文全体に統一感(integrity)の見かけを与えるための工夫であり、これはプレゼン上の工夫として、忘れられがちだが重要なポイントだと思う。

  • 夜は予餞会。去年の悲惨な経験から忌避してきた某何とかキッチンだが、今回は「料理は」まあまあまともだった(去年はキャベツの山盛りが2品連続で出てきたからなあ)。でも、言っとくけど、俺んちのキッチンは、もっと美味いもの出すけどね。ほんとの「生ビール」もあるしね。

  • このブログを読んでいるという学生が結構いた。めったなことは書けないなあ(といいつつ何も考えていないが)。