Mike Johnson, Tim Burton監督『Tim Burton's Corpse Bride』

ティム・バートンのコープスブライド [Blu-ray]

ティム・バートンのコープスブライド [Blu-ray]

2005年の英国・米国映画。
ストップモーションアニメの映像美もさることながら、キャラクターの造形がすばらしく、感情移入は必至。どうしたらハッピーエンドになれるか、ハラハラしながら考えてしまう。
三角関係ものは、特に全員がそれぞれ魅力的である場合、どう物語を終わらせるかが核心。普通にいったら一人は不幸になるわけで。ありがちな可能性としては、余った人(失礼!)が、他の、あまり重要でないキャラクターとくっつく(高橋留美子めぞん一刻』のこずえちゃんとか)、フラれて自立する(細野不二彦『ママ』の恵とか、まつもと泉きまぐれオレンジロード』のひかるちゃんとか)、等々があるけれど、一番安易なのは、死ぬ、というやつで、もちろんあだち充『タッチ』の和也は死んだ後の話のほうが長いのでOKというか、えーと何の話かというと、要するにこの映画では、最初から死んでるから死なせられなくて、で、どうするかというと、まあ成仏する、と。
と書いてきて、考え直してみると、この映画の場合、三人の間での感情移入の度合いが平等ではないことに気づく。観客の感情移入は、主に「死体の花嫁」Emilyに向けられ、ついで花婿のVictor、それからだいぶあいて生者の花嫁Victoria、という順番になる。これは、作中で示される各人の意思決定=選択の強度の順番でもある。
Victoriaはほとんど何も選択しない。屋敷を抜け出してVictorを助けに行こうとするだけだ。すごくいい子だなという感じはあるが、そのくらい。Victorが戻ってこないということで、悪い奴と結婚させられてしまう。そこをあえて拒否しようとはしない。
Victorは、かなり大きな選択をする。つまり、毒杯を仰いで死者の仲間入りをし、Emilyと正式に結婚しようとする。ただ、その決断は、Victoriaが自分以外の男性を選択したという誤解に基づくもので、ちょっとヤケになっているとも思える。EmilyもVictoriaも自分を愛している、という知識のもとでの選択ではない。
Emilyは、Victorが毒杯を仰がんとするまさにその瞬間に、Victoriaの姿をみとめて彼を制止する。自分の幸福を放棄するという大きな選択をしたことになる。VictorもVictoriaも、結局その選択をそのまま受け容れる。
だから、成仏するというのが、一見すると安易な解決のように見えるとしても、それは物語を三角関係モノとして見るからで、そうではなくEmilyの選択の物語=成長物語として見れば、この終わり方しかないこともわかる。実際、この映画のラストシーンを見て、そこに何らかの安易さがあるとは誰も思わないだろう。作品の解釈とは、受けた感動の解釈にほかならない。
まあ、蛇足を承知でいうと、地下にあるらしい「死者の世界」とこの「成仏」とが、作品の世界観の中でどのような関係にあるのかよくわからない、というのはある。地下の死者たちは、別にこの世に未練があってさまよっているという感じではない。地上の世界が19世紀英国の暗い雰囲気なのに対して、地下世界は20世紀後半の米国的な明るさがある。でもまあいいかそんなことは。