社会学の教科書の使われ方

さっきメールを書きながら、真理に気づいた。気づいてしまえば当たり前のことだが、大学で教えている社会学者の多くは気づいていないか、あるいは、「けしからん」的な説教的態度でやりすごそうとしているのではないかと思う。
社会学の教科書の話だ。たぶん、社会学の研究者になるような人は、学生の頃に、社会学の教科書を使うような授業で社会学を学んだりはしていない。
だから気づきにくいのだが、社会学の教科書を買って社会学の授業に臨んでいる学生の大半は、

授業中しか教科書に触れない
教科書マーケットはそういう人のおかげで成り立っているのだが、書く方が、、そういう使われ方を想定しているとは到底思えない。読み物としての面白さを追求するとか、そういった工夫は、ある程度の水準以上の興味関心と能力を持った人にしか通用しない。授業中しか開かない書物を、読み物として読んだりは、普通はしないのだ。社会学者は読書エリートなので、本を買って読まない、なんて人がいるとはなかなか思えない。
ではどういうふうにすれば教科書が本来のお客様向けになるかというと、なかなか難しいところだが、たとえば、図解と、語句説明と、人名紹介だけの、殺伐とした、小事典みたいなのの方が、授業での「使いやすさ」は上ではないかと思う。
まあ、教科書なんてほとんど読んだことがなくて、最近自分で授業をやり出して、教科書の一部を書くようになって初めて他の人がどんなふうに書いているか気になりだしたばっかりの教科書初心者なんで、上に書いたようなことは業界ではすでに気づかれているのかもしれなくて、そうならちょっと恥ずかしいけれど、でもそんなこと誰も教えてくれなかったので、とりあえず書いておくことにした。