2限「社会システム論」。冒頭に、大学で授業を受けることの意味、みたいな話を。授業という形態は、体系的な知識を体系的に理解するには非常に不効率。家で本を読んで自分で勉強した方がはるかによい。授業では、教員の脱線による知識の相互連関・広がりを感じることが一番よい効果。あとは、教員がその学問に対してどれほど好きかを感じること。
というわけで、もう行き当たりばったりに授業をするぞ俺は!と宣言。実際行き当たりばったりにやった結果、本筋(機能分析の歴史と論理)とは外れた話が前半1時間(「知」の生産の社会的条件とか、GiddensのいうDualismでなくてDualityという話とか)。最後30分で、前回までの復習をしつつ、「潜在機能」概念の発明によって、それを見つけてこい!という学問的課題が発生したこと、概念を発明することの評価は、それによってどのような発見可能性が生まれるかだ、みたいな話を急いでやった。まあこんな感じでなんとかいけそうだな。
レスポンスカードを見ると、大学の授業の不効率・不毛・つまらなさに対する不満を感じている学生が多いらしく、冒頭の話への共感が結構見られた。それもあってか、脱線してくれたから退屈せずに聞けた、考える楽しさを知った、理解できないけど楽しかったという声も多数。もちろん、板書・パワポ・資料配布をきちんとやれという声も結構ある。
さて共感しつつのお叱りも。

今回の授業のはじめに話していた、「大学の授業」に関するお話しが面白かったです。大学の授業の内容のうすさ、先生のワンマンプレイに少なからず疑問を持っている大学生にとっては、そのような気持ちを汲んでくれた話で、これからもっと意欲的に授業にのぞもうという考えをもつことができました。しかし、どんなに的をえたことでも、「大学の授業は意味がない」ということは先生は絶対に言ってはいけないと思います。単位取得のためでなく、本当に興味でこの授業にいどんでいるがくせいもいるので、そのようなネガティブ発言はひかえ、今まで通りに精一杯知識の伝達に努めるべきだと思いました。

しっかりしてるなあ・・・・・・さて、私は大学の授業が一般に無意味だ、とは言っていない(そんなこと言いながら授業をできるほど神経が太くない。授業のある日は朝からお腹痛いのだ)。教科書を集中して読んだ方が理解しやすいことを、週1回90分を15回にわけてやるのは不効率だと言っているだけ。なので、私の授業では、そういうのに還元できない付加価値を、脱線と熱意に求めようと思っているわけだ。教科書に絶対書けないのが脱線なので。だからネガティブ発言をしたわけではなく、君たちはネガティブにとらえているだろうが(そしてそのとらえかたが当たっている授業が多いのだろうが)、私は授業のポジティブな価値をここに見出したので、これこれこういう形式をとるぞ、と言ったのであるからそこは誤解しないでほしい。



ScanSnapで本を電子化していると、紙質の違いというのがよく分かるようになる。とりあえず新潮新書には「ダブルフィードの王様」の称号を贈りたい(実際にはダブルどころかマルチフィードだ)。

Skypeで4人で某会議。おもしろいですねこういうの。1時間半はちょっと疲れた。眠い。明日の授業の準備が・・・