『社会学評論』58巻4号「特集・社会学教育の現代的変容」

社会学評論 2008年 03月号 [雑誌]

社会学評論 2008年 03月号 [雑誌]

現地調査によってアメリカには「アメリカ型」(といえるほどの統一性)はないらしいことを明らかにしつつ、自称アメリカ通みたいな人が生半可な知識で政策策定に携わっている現状を皮肉り、日本(あるいは各大学)の状況に合わせた創造的な改革をすべきだ、という主旨。
ところで、20年くらいしたら、あの時期に博士とったやつらはオマケだから!とか言われるんだろうか・・・

  • 片瀬一男,「情報化社会における市民的教養教育としての社会調査教育――統計的リサーチ・リテラシーの育成を中心に」

(多変量解析をはじめとする)比較的高度な分析法まできちんと教えて理解させんと、あるあるとかみたいになって大変だぞ、という話だが、これはなかなか難しい方向性ではないかと思う。
他方、リテラシー教育のやり方として、むしろ捏造する側の経験をさせるというのも有効なのではないかと思う。「来週までに面白い研究を探してきて報告しろ」とか「その筋の専門家から一言コメントをとってこい」みたいな。
(そういえば数年前、学会事務してたときに、某マスコミから電話かかってきて、「○○について聞きたいので専門家を紹介してくれ」とか言われた。「そういうことは業務としてやってないので」と断ったが、しつこく、「じゃあどこに聞けばいいか教えてくれ」と食い下がったので、その分野の専門の学会(○○社会学会)を教えた。鬱陶しいから他人になすりつけた格好。ググることすらできず、「専門家に電話できく」のが調査報道だと思っている連中なんだなと思った。)

学内で学科再編成があり,社会福祉コースが総合福祉学科として人間関係学科から独立して以降は,社会学専攻は社会情報コースとなった.このコースは,初級システムアドミニストレータ資格などの情報処理資格取得をめざせるコースに改変されたが,学生吸引力には限界があった.そして,社会学教育はそのなかではかすんでしまった.そのコースも現在では募集停止となり,東海学院大学からは社会学専攻はなくなってしまった.
つまり,本学では,社会学教育は平成に入ってほどなく岐路を迎え,現在では岐路どころかその存在はなきに等しい.総合福祉学部長である私は,11年前に社会福祉士資格を取得し,国家試験受験対策分野での実績によりかろうじて本学にその場所を確保できているが,それがなければ,本学に居場所があったかどうか危ういところである.
(中略)
本学の場合は,大学名だけでは学生を必ずしも吸引できない弱さがあり,となるとどのような資格が取得可能なのか,国家試験に合格できる力はどのくらいあるのかなどが学生募集力の決め手となってきてしまう.社会学はその点で本学の場合には無力であった.
(pp. 493-494)

これは泣ける。本論は、それでも(!)社会福祉士教育にとって社会学的観点は重要なのだ、という内容で、また泣ける。