パーソンズ「パレートの中心となる分析図式」

  • Talcott Parsons, 1936, "Pareto's Central Analytical Scheme," Journal of Social Philosophy 1, pp. 244-262, reprinted in: Charles Camic (ed.), Talcott Parsons: The Early Essays, University of Chicago Press, pp. 133-150

 近代の社会思想の焦点というのはそんなにたくさんあるものではない。そして人間行為の合理性の問題がその一つであることに疑問の余地はない。パレートの主な出発点となっているのはこの問題の二つの側面、つまり科学的知識の役割と、「経済的」問題であるが、この二つが我々の知的伝統の中のもっと一般的な問題と関わる二側面であることにも疑問の余地はない。パレートの理論図式の主な焦点がこの二つの問題である以上、パレートの仕事が一般的な社会理論に資するものであることにもやはり疑問の余地はないと思う。
 この一般的な思想潮流の中においてみると、パレートの重要性というのは次の二点に集約されると思う。少なくともドイツ以外の国では、合理性の問題は主として「実証主義」によって扱われてきたといっていいだろう。つまり、経済的個人主義の理論を文字通り、具体的に正しい理論として受け入れるか、この立場を拒絶して心理学的な反主知主義の立場、特に何らかの「本能」理論に退くか、この二つしか選択肢がないというディレンマである。
 パレートは、このディレンマを徹底的に乗り越えた最初の人の一人である。第一に、「論理的行為」を具体的な行為の一種としてではなく、具体的な行為を構成する一つの要素として扱った。そうすることで、正統経済理論のほとんどが陥っている「物象化」の陥穽から逃れることができた。第二に、非論理的行為を真の残余範疇として扱った。これによって、非論理的行為の内容を経験的な研究の対象とする可能性が開かれたのである。この二点とも、パレートの懐疑論的な「自然科学」方法論に棹差すところが大きい。
 出発点は以上の通りであったが、そこから人間行為の一般理論を満足な水準で作り上げることはなかった。それは事実である。とはいえ、パレートによる残基と派生態の分析は、正しく理解してやるなら、ある種の目的にとっては非常に有用な分析道具であることがわかるだろう。また同時に、本稿で示した通り、『大綱』の後半部を構成する経験的研究の基礎には、人間厚意の分析理論の中で一定の位置を与えられるべき範疇がいくつか登場しているのも事実である。
 本稿が注目したパレート社会学の側面は、不完全ながらも社会理論に多大な貢献をなすものであると私は考えている。パレートの仕事の残りの部分を理解するためにも、また行為理論をさらに発展させていくためにも、この側面を明確に把握しておくことがぜひとも必要なのである。(pp. 149-150)