小松美彦『自己決定権は幻想である』

自己決定権は幻想である (新書y)

自己決定権は幻想である (新書y)

 他人に影響を与えるものは所有できないから処分できないだから自己決定もできないという無理な理屈(だったらなにも所有できないのでは?)が、アメリカによるマインドコントロールとかナチスがなんとかとか国家の支出削減とか企業の大儲けといった陰謀論チックな憶測と、自分は子供の時から変だと思ってたぜ的な昔話と絡めて展開される。この人は直観喚起的な議論の人なんだなあ(論理の人ではないのだなあ)。
 たとえば健康増進法第2条に、「国民は……自らの健康状態を自覚するとともに、健康の増進に努めなければならない」とあることについて

健康に努めることが国民の責務だとしたら、健康でない人、あるいは健康に努めたくとも努められない人、たとえば障害者はいったいどうなるのだという疑問が浮かびます。形式論理としては、こうした人々は非国民になるわけです。(p. 117)

それはどんな「形式論理」なのかとw。健康でないと「健康の増進に努める」ことができない? 国民の責務を果たさない人は国民でなくなる?(だとしたら「国民の責務を果たさない人」というのは定義上存在できなくなるけど。形式論理として。)

顔立ちはもちろん、中身まで含めて、こいつのどこが美男で美女なんだよと思うことが、とても多くなった。あえて私の感覚で言えば、一昔前の石田純一とか昨今の米倉涼子は、その典型なのではないでしょうか。(p. 114)

ちょwww何の話ww
 あと校正がいいかげん。

たとえば「足長おじさん」という交通遺児のための募金がありますが、(p. 182)

そこを漢字で書くのは初めて見た。「あしなが育英会」。寄付する人は「あしながさん」というらしい。

明日のジョー』の矢吹丈が体現する生き方(p. 199)

だからそこは漢字じゃないと。

私自身の中にあるアンヴィバレンツが(p. 214)

アンビヴァレンツな。
 というわけで、語り下ろし本の例に洩れず、という感じ。