ハーバーマスのローティ追悼文

2007年6月11日の『南独新聞』にハーバーマスのローティ追悼文が載った。とりあえず翻訳してみた。
ここにいろんな人の追悼文がある

幾度となく驚かされた

リチャード・ローティが死んだ。ユルゲン・ハーバーマスより、哲学者であり、詩人であり、ブッシュの批判者であり、そしてわが友であった故人に追悼を捧げる。
 
 その電子メールを受け取ったのは今からほぼ1年前になる。数年来、ローティからのメールには決まって「戦争大統領」ブッシュについての諦念がつづられており、今回もやはり同じだった。生涯を通じ、なんとか自分の国を良くしていきたいと思っていた愛国者にとって、ブッシュの政策は深い落胆を禁じえないものだったようだ。3段落か4段落ほど辛辣な分析が続いた後、まったく予期しなかった一文が書かれていた。「あーあ、デリダを殺したのと同じ病気になっちゃったよ。」読者のショックを和らげようというのだろう、その後には、彼の娘による、「ハイデガーを読みすぎるとその種の癌になる」という仮説が、冗談めかして書かれてあった。
 リチャード・ローティが、きつすぎるコルセットを脱ぎ捨てるように、伝統的な哲学の慣わしから離れて35年になる。もちろん物を分析的に考えるのをやめたのではない。誰もやったことのない仕方で哲学する道を模索するためだった。
 哲学者としての技倆は、まさに名人の域に達していた。最上級の哲学者たち、たとえばデイヴィドソン、パトナム、デネットらとの論争において、ローティはいつも、繊細で鋭い議論を展開してきた。しかし哲学にとって本当の問題というのは、他の哲学者との論争の中にではなく、我々の生きる日常の中にあるのだということを、彼は決して忘れなかった。
 新しいパースペクティヴ、新しい考え方、新しい定式化を、数十年にわたって連発した哲学者を、この現代において私はローティ以外に知らない。それはもう、他の哲学者に息つく暇も与えないほどの勢いだった。この多大な創造性はロマン主義的な詩人の精神によるものであった。いくら表向きは哲学者であっても、その精神の発露は隠せるものではなかった。

アイロニストに聖域なし

 ローティの創造性を支えていたのは、もう一つには、比肩する者のない修辞力と、非の打ち所のない文章力である。読者は見慣れない叙述戦略、予期せぬ対立概念に、つまり新しい語彙(これはローティお気に入りの表現の一つ)に、幾度となく驚かされたのである。エッセイストとしても、フリードリヒ・シュレーゲルからシュルレアリスムまで、幅広く論じた。
 アイロニストで情熱家、挑発的で論争的な文章、世界中の人々の考え方に革命を起こし、影響を及ぼした。こう聞くと、どんだけ頑健強壮な人間かと思うだろう。しかしその印象は間違っている。実際のローティは、華奢で繊細、内気で引っ込み思案な人間だった。そしていつもまわりに気を配っていた。
 ローティには「野生の蘭とトロツキー」という自伝的な小文がある。少年時代、ローティはニュージャージーの北西部にある丘陵地帯を散策し、そこに咲き誇る蘭の芳香に酔い痴れていた。同じ頃、左翼であった両親の書棚に、スターリンに抗してトロツキーを擁護する内容の魅力的な本を見つけた。このとき生まれたイメージを、ローティは大学まで保持し続けた。蘭が見せる天上の美と、トロツキーの夢である地上の正義、この二つを両立させるものこそ哲学だ、と。
 アイロニストであるローティにとって、何物も聖域ではない。晩年、「聖」なるものとは何かと問われた際、厳格な無神論者である彼は、若い頃のヘーゲルを思い起こさせるような言葉を残した。「私にとって聖なるものとは、いつか遠い未来に、愛だけをほとんど唯一の法とするグローバルな文明ができて、私の子孫がそこで暮らしている、そんな希望のことです。」