今日の朝日社説・読売社説

NHK裁判の話。

NHK 裁かれた政治への弱さ

 NHKは国会議員らの意図を忖度し、当たり障りのないように番組を改変した。
 旧日本軍の慰安婦をめぐるNHK教育テレビの番組について、東京高裁はこう指摘した。そのうえで、判決はNHK側に対し、取材に協力した市民団体へ慰謝料200万円を支払うよう命じた。
 NHKは放送の直前に番組を大幅に変えたことを認めながらも、「あくまで自主的に編集した」と主張していた。その主張は通らなかった。
 政治家の意向をおしはかって番組を変えるというのでは、自立したジャーナリズムとはとても言えない。NHKは上告したが、高裁の判断は重い。
(後略)
http://www.asahi.com/paper/editorial20070130.html#syasetu1

 なんか変な書き方だ。これだと、編集が自主的であればNHK側の勝訴になったかのように見える。しかし論点は、取材対象が番組に対して持つ期待が、憲法で保障されている取材者側の編集権を制約するか否か、ということだったはず。ということは、編集が自主的であろうとなかろうと、取材過程で取材対象に特定の期待を抱くのも「やむを得ない特段の事情が認められる」なら、それに反する番組を放送することは期待権の侵害であって、どちらにしてもNHKは敗訴ということになるはずだ。判決が政治家の意向についてのNHKの解釈に言及しているのは、この期待権侵害に孫請けの制作会社だけでなくNHKも加担しているかどうかという論点にかかわるものであって、放送業者が政治家から自立していないことを非難されているわけではない。別に「政治への弱さ」が裁かれているわけではない。というか政治家の介入は認定されていない。

 編集の自由や報道の自由は民主主義社会の基本だ。取材される側の期待権の拡大解釈を避けるためにも、メディア側の権力からの自立が求められる。

という締め方は、社説子がこの判決のポイントを理解していないことを示している。どうして権力から自立すると期待権の拡大解釈が避けられるのか、意味がわからない。
 他方で読売社説はこの点をきちんと指摘している。

[NHK番組訴訟]「報道現場への影響が懸念される」

 メディアが委縮してしまわないか心配だ。東京地裁に続いて東京高裁が示した報道への「期待権」という新しい考え方に、戸惑わざるを得ない。
(中略)
 ただ、懸念されるのは、編集の自由の制約に関する司法判断が拡大解釈されて、独り歩きしないかということだ。
 報道の現場では、番組や記事が取材相手の意に沿わないものになることは、しばしばある。ドキュメンタリー番組や新聞の連載企画などでも、より良質なものにしようと、編集幹部が手を入れたり、削ったりするのは通常の作業手順だ。
 「編集権」の中の当然の行為だが、それすら、「期待権」を侵害するものとして否定されるのだろうか。2審では「期待権」の範囲がNHK本体にまで拡大された。そのため、報道機関全体に新たな義務が課せられる恐れが強まった。
(後略)
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20070129ig91.htm