プラトン『プロタゴラス』

プロタゴラス―ソフィストたち (岩波文庫)

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自分に教えを乞えば有徳の人になれるという高名なソフィストプロタゴラスに、徳を教えることはできないが持論(cf. 『メノン』)のソクラテスが挑む。

ソクラテスの友人  どこからやってきた?ソクラテス。言わずと知れたこと、アルキビアデスの青春を追いまわしてきたところなのだろうね。じっさい、ついこのあいだもぼくはこの目で見たが、あいかわらず美しい男だと思ったよ。だが、もう男だね、ソクラテス――われわれのあいだだけの話だが。もうすっかり鬚も生えはじめているし。
ソクラテス  それがいったい、どうしたというのだ。君は、「鬚生えそめし若さこそ、げに優美さのきわみなれ」と言ったホメロスの讃美者ではなかったのか?アルキビアデスは、いままさにそういう若盛りにあるのだ。
友人  で、どうなの、いまは?いままで彼といっしょにいたのだろう?あの若者の君に対するそぶりは、どんなぐあいかね。
ソクラテス  悪くない、とぼくはにらんだ。とくに、きょうのところはね。

ひげの生えはじめがいいらしい。

アルキビアデス  ひとつ問をかけられるたびごとに話をひきのばして長広舌を行ない、討論をそらして答をあたえようとせず、聞いている大部分の者がもともと何の話だったか忘れてしまうまで、話を長くするというやり方はいけません。

プロタゴラスの話が長いので短くしてくれとお願いしたがしてくれないのでじゃあ帰るといってソクラテスが立ち上がった場面での1コマ。こういう人(=話の長い人)いるよね。ちなみにこの直後、舌の根も乾かぬうちに、ソクラテスは延々15ページも長弁舌をぶってプロタゴラスをやりこめてしまうのであった。
議論の結論としては――徳とは善を為す能力。善とは快(悪とは苦)。人は悪と知って悪を為したり善と知って善を為さなかったりはしない。悪を為したり善を為さなかったりするのは善悪についての(つまり快苦についての)無知のなせるわざ。したがって善を為す能力としての徳とは、善悪についての知識である。知識であるから教えることができる。(と、ソクラテスは最初と反対の結論に至っている。)