にっくんの幼年時代(1)

PONSの看板


 ハンブルク(Hamburg)から急行で40分、ニーダーザクセン(Niedersachsen)州西端の都市、リューネブルク(Lüneburg)の駅に降りる。駅前通り(Bahnhof Straße)を右に進み、リューナートア通り(Lünertorstraße)を左に折れる。そのまままっすぐ進むとイルメナウ川(Ilmenau)に差し掛かる。川には橋が架かっているが、その手前左手に、この街のシンボル的な観光名所「古いクレーン(Der Alte Kran)」が見える。かつてはこのクレーンを使って船荷の積み下ろしを行っていた。この地の特産である岩塩を載せた船はこのイルメナウ川を北に下り、ハンザ同盟の中心都市リューベック(Lübeck)に向かったのである。
 クレーンから目を戻し、川の対岸を見ると、煉瓦造りの三角屋根の建物が橋を渡り終えた右手に見える。他の建物と同じく少し傾いでいるのは、岩塩採掘による影響で地盤が緩いからである。正面の看板には青地に白い字で大きくPONSと書かれている。これは「橋」を意味するラテン語である。このPONSと、「山」を意味するMONS、および「泉」を意味するFONS、この3つの頭文字、PMFを組み合わせたものが、この都市の市章になっている。
 リューネブルクの都市としての発展には、この3つの要素が不可欠であった。まずMONSとはこの地にある石灰山(Kalkberg)のことである。10世紀、オットー1世によってこの地の辺境伯に任じられたヘルマン・ビルンク(Hermann Billung)はこの山の頂に城砦(Burg)を築き、統治の拠点とした。リューネブルクの「ブルク」は、この地が城砦都市であったことを示している。しかしこの山はそれ以前から、敵対部族の襲撃時に避難所としての役割を果たしていた。史料によると、8世紀末にカール大帝この山をHliuni(避難所の意)と名づけたそうだ。これが表記法の変化に伴い、Lhiuniburcを経て、現在のLüneburgに至ったという。いうまでもなく、イルメナウ川に架かる橋(PONS)は交通の便をよくしてくれた。またFONSというのは塩泉のことで、これがこの地の産物として経済的発展を支えたのである。
 話を建物の方に戻そう。看板下部には「LÜNEBURGS ÄLTESTE KNEIPE, VEG. KÜCHE, 4 BIERE v. FASS(リューネブルクでいちばん古い居酒屋、野菜料理、4種類の樽ビール)」とある。看板上部には「PONS」の「O」の外周に沿って「S'ANDERS」とある。この建物は、現在トマス・ザンダー(Thomas Sander)氏が経営する文化居酒屋PONSなのである。ビールや料理を供するとともに、様々なイベントを行っている。そして、社会学ニクラス・ルーマン(Niklas Luhmann)の生家でもある。