新しい上司:イントロ
- Niklas Luhmann, Der neue Chef, Verwaltungsarchiv 53 (1962), S. 11-24
官僚制的行政では、原則として、非人格的な労働様式が求められる。その前提として、官僚制では、行動期待の確実性が高くなるような仕組みが整えられている。公務員の日常業務は規則によって統制されており、それゆえに、公務員は仕事中に感情を表に出さないですむようになっているのだ。
ところが、それがうまくいかなくなることもある。いろいろな状況が考えられるが、少なくともそのうちの一つは、ある程度の期間をはさんで不可避的に発生する。それは、新しい上司が着任する、という状況だ。課長、部長、役所全体の長、と、どの水準でも、上司の交代というのは行政分野では実に日常的な出来事だ。選挙の結果が出て、新政権の成立が予定されると、省庁内はいらいらで満たされる。何をどう期待すればいいのか誰にもわからないので、仕事はほとんど停滞し、しかたがないので噂話ばかりするようになる。部長が退職するくらいならたいした影響はないともいえるが、それでも何もないわけではないので、最下層にいたるまで後任問題が話題の種になる。危機的な状況では、他人よりも多くの情報を持っている者こそがうまく振る舞うことができ、結果として同僚からの評価を高めるからだ。
この問題は、上司が新しく決まれば解決する、というわけにもいかない。人事が発表されれば、それにたいしてまた、その人が選ばれた表向きの理由、そして裏の理由の分析が、また周囲の人々の話題となるからだ。それが落ち着けば、今度は第一次遭遇の問題が発生する。第一印象がすべてだ、とみんな考えているからだが、実際、第一印象がすべてだということは社会心理学で確かめられているようだ(1)。敬意を示しつつもあまりよそよそしくならないように、謙虚にしつつも経験に基づく自信はそこはかとなく漂うように、お手並み拝見といきつつも完全無視まではいかないように、といったことにみんな腐心する。これが、部下が新任上司の研修を担当しなければならないとなると、気遣いはさらに大変だ。
- (1) Goffman [1958: 4 ff.]; Stogdill [1959: 96 f.] などを参照せよ。
初対面で気を遣うのは上司の側でも同じだ。しかも上司の場合、上司らしくしないといけないので、あまり不安な顔とかできないのがまた一苦労である。新任だから、知らない人たちの中に一人で入っていかなければならないわけで、自分をとりまく新しい部下たちが、腹の底で何を考えているのかもよくわからない。部下たちは期待の安定化を求めて新任上司の一挙手一投足に注目するから、最初に失敗してしまうとその意味は甚大だ。
このように、新しい上司が着任するときというのは、部下の側でも上司の側でもいろいろと大変なのだが、そこでどう振る舞うべきか、学問に助言を求めてみようという人はまずいない。彼らが知っている学問の中に、この問題にまともに応えてくれるようなものがないからだ。法学にしても組織学にしても、上司の交代に際して問題が発生するという発想自体がないのだ。法学的には、新しい上司が着任した、というのは、人事権を持った人の決定によって一定の法的効果が生じた、という意味しかない。なので、法学的にはこれ以上の展開は望めない。組織学でも事情は変わらず、人事異動に関する問題としては、どうやって選抜するか、とか、研修にどれだけの費用をかけるか、といったことしか扱ってこなかった。配置転換にともなって生じる感情の問題や、その問題に対する感情的な反応、そういった困難について、従来の組織学は過小評価してきたのだ。これは、他人の役割に対する一般化した非人格的な態度、というだけで、行動の基礎として十分だという前提を置いていたからである(2)。同じ事情から、 Max Weber の官僚制モデルでも、この問題は扱われていない。
- (2) 一例として Leibenstein [1960: 201] を参照せよ。
しかし、そういう一般化した非人格的な態度というのがそれほど万能なのか、ということは、それは前提だから、といってすませられるようなものではない。一般化した態度をとってさえいれば、どんな事態に対してもつねに正しい決定ができる、などと、前提にしていいわけがない。行政学が、あくまでも現実の行政の中での具体的な行動を研究対象とし続けるかぎり、この問いを避けることはできない。新しい上司は、行政というものの構造が不可避的に、類型的に、反復的に引き起こす一つの問題なのだ。それは、普遍的な意義を持つと正当にいうことのできる数少ない組織問題の一つなのだ(3)。行政学の概念枠組では、この問題を捉えられない、定義できないというのなら、枠組自体を拡張してやろうではないか。
- (3) この点を強調しているのが Grusky [1960: 105 f.] である。
- Goffman, Erving, 1958, The Presentation of Self in Everyday Life, Doubleday
- 石黒毅(訳),『行為と演技――日常生活における自己呈示』,誠信書房
- Grusky, Oscar, 1960, “Administrative Succession in Formal Organizations,” Social Forces 39, pp. 105-115
- Leibenstein, Harvey, 1960, Economic Theory and Organizational Analysis, Harper
- Stogdill, Ralph M., 1959, Individual Behavior and Group Achievement: A Theory, the Experimental Evidence, Oxford University Press